シャプラニールは多くの方々とのつながりによって
50年という長き道のりを歩み続けることができました。
そんな私たちにとって大切なつながりを持つ方々にお話を伺うと
それぞれの想う「シャプラニール」の姿が見えてきました。
シャプラニールは多くの方々との
つながりによって50年という
長き道のりを歩み続けることができました。
そんな私たちにとって
大切なつながりを持つ方々にお話を伺うと
それぞれの想う「シャプラニール」の
姿が見えてきました。
秋吉恵 さん
シャプラニール会員/大学教員
PROFILE
立命館大学教員。インドで獣医師として働く中で感じた限界をきっかけに専門を社会開発に転じる。解決の糸口を、人々が本来持つ可能性を発揮できる社会づくりに求め、その実現に向けて南アジアのみならず日本の農山漁村の人々や大学生とも関わりを広げている。シャプラ会員歴25年超。元理事で現評議員。
(写真/右、ネパール事務所・キル職員と)
学生時代のアジアへの想いを埋めるために
シャプラニールの会員になったのは大学卒業後の進路に鬱屈を抱えていたからです。大学生の頃は、「動物のお医者さん」のハムテルのように、朝から晩まで、家畜の世話や実験に追われ、夜は友と一升瓶を交わす毎日でした。その反動で、休日は春から秋は山に登り、冬はスキーに興じ、長期休暇にはバックパックを背負ってアジアを旅しました。西安、ウルムチ、ポカラ、チェンナイ…。旅でお世話になった方々の役に立ちたくて、青年海外協力隊を受けたけど、あえなく撃沈。
卒業後は関東に戻り、食品会社で医薬品部門の研究者になりました。糖尿病薬の研究で、実験動物と終日過ごし、終電目指して駅まで走る日々の中で、学生時代のアジアへの想いを埋めようとドアを叩いたのが、シャプラニールでした。出会った半年後に参加したバングラデシュのスタディツアーをきっかけに、私は南アジアの農村に強く惹きつけられるようになりました。常に家畜とともにある人びとの暮らしと彼らの命との向き合い方は、治療薬開発のために動物の命を奪うことが日常だった私に、心の安寧を与えてくれました。
シャプラニールに集うみんなと
帰国後、シャプラニールにボランティアとして通い始めました。代休の平日や貴重な土日休み、早めに仕事を終えた夜、早稲田にいることが増え、シャプラのスタッフやボランティア仲間たちと、南アジアについて語り、考える時間が日々の彩りでした。夏の集い*の実行委員会、車座トーク**、ボランティア仲間で作ったノディの会***で、対話を重ねました。スタッフ、ボランティア混成の南風バンドを結成し、練習を重ねて、南アジアの人々を想う歌を奏でる中でいつしか、私も、南アジアに暮らし、南アジアの人々とともにありたいと考えるようになっていました。
インドで私を支えてくれたのは
人にも仕事にも恵まれた会社人生を途中下車して、インドに行ったのはシャプラニールで過ごした時間があったからです。インドで日々をともにした家畜を飼育する人々から、同僚の欧米出身の獣医師が聞く耳持たない伝統的な治療法を学びつつ、小さな改善を提案する姿勢を保てたのは、シャプラニールで知った住民が本来持つ可能性への信頼が私を支えてくれたからだと感じています。インドでの経験をもとに、社会科学系の研究者に道を変えてから、シャプラニールで身についた考え方が、国際協力のあたりまえではないことに気がつき、混迷を深めていったのはまた別の話。
少しずつ世界を変えていく担い手に
南アジアや日本における社会開発や、高等教育分野での経験学習を専門とするようになった今も、私はシャプラニールから新たな刺激をいただいています。それは、シャプラという場で育った市民が、全国に散らばり、日本で、南アジアで、人々のよりよい暮らし(Well-being)を支える活動を展開しているからです。50年間でシャプラニールに触れたたくさんの市民たちが、シャプラと関わって身についた知識と知恵を携えて、今、目の前の気になることに関わっていく、それが、日本を、南アジアを、世界を、少しずつ変えていくことにつながると、私は信じています。
*1986年に第1回全国研究集会として開始。後に「つどい」名称を変更。貧困問題などのさまざまな社会課題、国際協力やNGO、ボランティアなどのテーマを設定し、分科会を通じて参加者全員で学び、議論する場となっている。
**1985年頃から東京事務所のボランティアが定期的に開くようになった自主学習会。バングラデシュ・ネパールの現状や文化、日本の社会問題などの多様なテーマについて学ぶ機会となった。
***シャプラニール「夏のつどい」をきっかけに会員や支援者たちが中心となり発足させた。ノディとはベンガル語で川を意味する。「規則がないのが唯一の規則」を会則とし、個々がかかわる活動の発信やイベント企画を行っていた。