さっき、友人から電話があった。夕食を一緒にしようと約束していたので、それに関することかなと思ったら、外が大変なことになっているというお知らせだった。実は昨日、ネパール政府が発表したガソリンなどの一斉値上げに対する抗議デモが、カトマンズのあちこちに出ているのだという。空港に友人を迎えにいこうとしたある人は、タクシーがつかまらず結局バイクで空港へむかったと、友人は言っていた。

インターネットのサイトNepalnews.comで調べてみると、確かに全国規模で騒ぎが広がっている様子が報道されていた。ガソリンがから67.Rsから84.25Rsへ、ディーゼルが52Rsから59.08Rs 灯油は46Rsから52.41Rs、確かにかなりの値上がり率だ。しかも、アナウンスのあったその日の夜から適用するというのは、ちょっと無理がある。

ネパールでは乗用車を持っている家庭は限られている。ある程度の収入がある人は、バイク(二輪車)を乗用車の感覚で使っている様子で、2人乗り、3人乗りはごくごく普通に見受けられる。時には先頭にお父さん、子ども、お母さん、また子ども、とサンドイッチ状4人乗りを目撃することも結構ある。ガソリンがいきなり25%も値上がりしたら、家計を圧迫することは必至だ。けれどもそれよりも深刻なのは灯油の値上がりではないかと思う。なぜなら、貧しい家庭では料理をする時に灯油を使っているからだ。この調理台、写真を撮っていないので説明が難しいが、キャンプなどに使うコンロを想像してもらうと判りやすいかもしれない。

一昨日は9月1日からの計画停電が発表された。エネルギー資源をほとんど持たず、外からの供給に頼らざるを得ないネパールにとって、石油価格の高騰は国の命運をも左右する可能性もある。かといって、デモや投石、タイヤに火をつけるなどの暴力的な手段で解決する問題とは思えないのだが、今のネパールではこういう形でしか市民の声が表現できないということなのだろうか。

4月の民主化運動以来、ネパールではいかに民主主義を政治や国の制度に浸透させるかという議論が続けられている。ただその議論も「憲法改正のための議会選挙実施」とか「共和制実現」など上滑りなものばかりで、貧困や様々な不平等など今のネパールが抱える状況を理解したうえで、どのような国めざすのかというヴィジョンはおろか、実質的な議論は全くなされていないと言っていい。そんな時に抗議デモのニュースを聞いても虚しさが募るだけだ。