こちらで仕事をしていると東京事務所との連絡などを除いて、ネパール語と英語が中心になってくる。同じような仕事をしている人たちと話をしていれば自ずとテーマが限られてくるので、不自由なりになんとか会話が成立しているような気になってくる。

しかし、そういう状況の中でも相手の言わんとしている真意が分からず「うっ」と詰まることが結構頻繁にある。いわゆる業界用語を使われた時だ。エンパワメント(empowerment)、パーティシペーション(participation)、キャパビル(キャパシティ・ビルディングcapacity building)などはその代表的な例である。

エンパワメントは難しいので飛ばすとして(すみません)、パーティシペーションは「参加」、キャパシティ・ビルディング「能力向上」「能力開発」などと訳すことができるかと思うが、意味が広すぎて「誰」が「どうなること」を指しているのか良く突き詰めて考えると全く判らない。なのに、何かすばらしいことを語っている気分にさせてくれる便利で不思議な言葉たちに翻弄される毎日だ。

勉強不足を暴露するようで恥ずかしいのだが、ある経験をお話したい。

バングラデシュの駐在を終えてシャプラニールの東京事務所で勤務をしていた時のこと、ODA系某団体が主催するキャパシティ・ビルディングに関する3日間のワークショップに出席をした。アジア、アフリカ、ラテンアメリカからの出席者も多く、事例報告も全体の進行も英語で行われていたのだが、何が話し合われているのか全く理解できないまま初日が終わった。

勉強不足のせいか、はたまた英語の理解能力の不足のためなのか・・・理由も分からなくて、正直かなりへこんでしまった。さて、翌日。同じ会場へ足を運んだが、やはり理解できない。

2日目か、最終日だったか忘れてしまったが、いくつかのグループに別れてワークショップをすることになった。NGO関係者が多く集まったその分科会では、まるでソロモンの指輪(動物や植物の会話が理解できるようになる指輪)を手にしたかというくらい、全ての話が頭の中に入ってきた。

会議本体では、バングラデシュやネパールといった支援を受けている政府や関係機関の「キャパシティビルディング」、つまり日本などの支援国に対して透明性を確保し、かつ効率良く活動を進めるように能力向上させることがいかに大切か、ということがずっと議論されていたのだった。

それなのに私はずっと、バングラデシュの農村に住む女性や路上生活している子どもたちのエンパワメントについて考えながら、会議に出席していた。私にとってキャパシティ・ビルディングとは、どうやったら人間一人ひとりが人生について自己決定をできる(エンパワメント)ようになるために、必要な知識や発言力、経済力(キャパシティ)を得る(ビルディング)ことができるのだろうと考えていたのだから、話がかみ合わないのは当然のことだった。

英語、日本語、ネパール語といった問題ではなく、語っている相手の立場や背景、方法論、そして言葉の後ろにある意味を理解できていない自分を大いに反省した。

さてその大いなる反省の甲斐もなく、ネパールで再び私は????の嵐に巻き込まれている。

ライツ・ベースド・アプローチ(rights-based approach)・マンデイト(manndate)・モダリティ(modality)

皆さんも是非、これらの言葉をインターネットなどで検索してみて欲しい。言葉の指し示す意味の広さにきっと驚かれることだろう。

どれだけ時間がかかるか分らないが、どこかでまた目を覚ますような経験をしないといけないらしい。そうすれば、きっと血の通った言葉として自分なりの理解ができる日がくるだろう。