東京事務所から出張に来ていた白幡職員と中森職員、そしてカトマンズ事務所のスタッフゴパールとともに、先週の水曜日(9月20日)から昨日(25日)までオカルドゥンガを訪問した、オカルドゥンガは、シャプラニールがCSDと活動を行っているプロジェクトがある場所である。しかし、予想外のアクシデントの連続で、当初の5日間の訪問予定が6日に延び、うち移動にほぼ5日を費やす結果になってしまった。
<写真:マネバンジャンの村の子ども>
ダサイン前というのは晴天が続くというのが普通なのだそうだが、今年は季節外れの大雨が続き、舗装されていない山道がドロドロになり車の通行が難しくなり、かつ途中の川が増水し道が寸断されてしまっていた。しかも手配していた車は故障で動かなくなり、地元の人の好意でピックアップトラックに同乗させてもらったり道行くギュウ詰めのバスを止めて、満員電車さながらの車内でもみくちゃにされたりと、かなりのアドベンチャーとなった。
<写真:グルミ周辺の山の様子、ここからどんどん険しい山になっていく>
あまりの変化の多さに昨日戻ったばかりの頭でも、正確に時系列に思い出すのが難しいくらいだし、事細かに書き出しても経験していない人には想像しろというほうが無理だと思うが、せめても「旅」の臨場感を伝えるために移動に使った交通手段を書き出してみよう。ちなみに四輪駆動車が何回かでてきて紛らわしいので数字をつけてみた。結局あまり判り易くはなっていないけれども、「オカルドゥンガすごろく」みたいなもの、と思ってお楽しみください。
『オカルドゥンガへの道』
9月20日 Day1 カトマンズ(飛行機)→ジャナクプール(四輪駆動車①)→カタリ(宿泊)
9月21日 Day2 カタリ(四輪駆動車①)→故障のためカタリへ戻る(ピックアップトラック荷台)→(地元の人の好意で手配できた四輪駆動車②)→途中、悪路のため進めなくなる→歩き→バス→途中で四輪駆動車③と交渉乗せてもらう→グルミ到着・CSDスタッフと会う→徒歩2時間→四輪駆動車④でマネバンジャン到着
9月22日 Day3 マネバンジャンでの活動視察(村人の家を訪問、農業共同組合の年次総会出席、飲料水管理組合との話合)
9月23日 Day4 マネバンジャン(四輪駆動車④)→途中通行不可能になる→徒歩→交渉しトラックに乗せてもらう→グルミ到着→後一歩で予定していたバスに乗り損ねるが、1時間後のバスのチケット入手→悪路のためバシバリにて一泊
<写真:9月23~24日に乗ったバス、ヘルパーのお兄さんたち八面六臂の大活躍!>
9月24日 Day5 バシバリ(バス)→泥道に悪戦苦闘しながらカタリ到着→地元のNGOの協力で救急車を手配、ジャナクプールに向かおうとするものの、川の増水で道が寸断されあえなくカタリへ戻る→カタリ(宿泊)※
※ 実はこの日ジャナクプールからカトマンズへ戻るため昼過ぎの飛行機を予約していたが、前日バシバリで宿泊することになった時点で、この飛行機への搭乗は諦めていた。しかしバシバリは電気も電話もない山間の村のため、この日の朝、バイクでカタリへ移動するという見知らぬ人にカトマンズ事務所への言付けを頼み、翌25日のフライト予約を依頼していた。
9月25日 Day6 カタリ(交渉してバスを手配)→川の水かさが減るのを待つ→朝11時移動を決行→ジャナクプールに近づいたものの、地元の人による交通封鎖に遭遇→「外国人」および「急病人発生」というカードで交渉、なんとか通してもらう→ジャナクプール一帯大雨のため浸水→それでも空港到着→チェックイン→空港建物から滑走路までひざ下までの水の中徒歩で移動→カトマンズ到着
自分で書いていてもなんだかなあ、と思う文章になってしまった。そもそも書き出しと、それ以後の文章の統一が出来ていないではないか。地図もなければ、所要時間も書かれていないのに、「すごろく」だのと呼んで理解してもらおうと期待する方が悪いのだが、私がここで伝えたかったのは大変さよりも、実はこの中に隠されているドラマなのであった。一時は本当にカトマンズへ帰れないのではないかと思うような状況にも陥ったが、それらすべてがネパールの人々の知恵と誠意によって一つ一つ解決されて行った様子は、きっと言葉を尽くしても私には伝えることはできないだろう。しかもそのほとんどは、名前すら知らない行きずりの人たちの好意によるものだったのだから。
<写真:飛行機搭乗前の中森職員とゴパール職員>
車が故障して立ち往生している私たちを乗せて町まで連れて行ってくれたピックアップの運転手、ただでさえ狭いバスの座席を詰めて座りなさいと勧めてくれた若い女性たち、自分の仕事を差し置いて途中まで送ってくれた道路工事現場のスタッフ、山道をオタオタ登る私の荷物を全部持ってくれたCSDのスタッフ、連続する不測の事態に臨機応変に対応したカトマンズ事務所のゴパール、ゴパールの古くからの仕事仲間でカタリの町で手配に奔走してくれたNGOのスタッフミーナさん。とてもじゃないが全部ここで挙げることはできない。
たくさんの、本当にたくさんの親切に支えられて私たちは無事にカトマンズに戻ることが出来た。人と人とのコミュニケーションが生きているネパール、それを体験することが出来たのが何より幸せと感じたオカルドゥンガ訪問だった。
<写真:マネバンジャンの農業共同組合の一コマ>