先のブログでもお知らせしたがドキュメンタリー撮影に同行し、ダッカの南にあるシャリアトプール県に出張した。ダッカのすぐ南に位置するムンシゴンジ県にあるマワまで車で1時間半、そこからこんなフェリーに乗り込む。バスやトラック、マイクロバス、乗用車などぎゅうぎゅうに積み込んで出発してからしばらくは広い河を航行する。
途中行きかう船は、急行なみの飛ばし方のスピードボートや、漁師があやつる手漕ぎ船など、実に多様だった。写真は大きな「はしけ」をボートで押しているもの。
フェリーに約1時間半乗った後、更に車で1時間かけてシャリアトプールのバスターミナルに到着。取材の相手サイフル君に電話したら5分ほどで迎えに来てくれた。私は彼とは今年の3月に久しぶりに会っているが、ダッカ事務所スタッフのサイフルは今日が5,6年ぶりの再会、髭が生える年になっただの、髭に白いものが混じっただの、二人とも本当に嬉しそう。
そういう私も人懐っこい笑顔をした男の子だった彼のことを良く覚えている。人を押しのけて前にでるようなことを決してしない、優しい感じの子だった。お芝居が上手で、大観衆の前で演じたところなど多くの写真を撮ったのだが、当時の写真はフィルムカメラで撮ったので今お見せできるものがないのが残念だ。
かろうじて見つけたのが次の写真。真ん中に座って少し右に乗り出しているのがサイフル君(2003年当時10歳前後)
サイフル君は小さな時に父が死んでおり、母、兄と暮らしていた。些細なことから母親と喧嘩をして家を飛び出し路上生活を始め、2001年にジャットラバリのDIC(ドロップインセンター)を利用するようになった。その後新聞配達などをしながらセンターで暮らしていたが、2010年に母親のいるシャリアトプールに戻ってきた。今年の2月にその母親を亡くし、今はおじさんの営む食堂の手伝いをしている。
<写真:従兄弟といっしょに>
母親は病気で亡くなったようで、治療のためにサイフル君は貯金を使い果たしてしまったという。何年か働いてお金を貯めたらダッカで小さな店をやりたいんだ、と言っていた。
ドロップイン・センターやストリートスクールで学んだ子どもたちが成長した姿を見るのは嬉しいし、彼らが私たちのことを覚えていてくれることも本当に嬉しい。ただ、当然のことながら全員がハッピーな生活を送っているわけではないという現実もある。サイフル君の人生が希望に照らされたものになるよう、私はこれからも彼に寄り添っていきたい。
ストリートチルドレンの活動を支援しながらいろんな事を思い悩んで涙した10年前の日々を思い出した一日だった。