バングラデシュはイスラム教を国教とする国。今年は9月2日から断食月が始まりました。日の出から日没まで断食をします。陽が沈み、アザーン(礼拝の呼びかけ)が聞こえてくるとお祈りをしてイフタール(日没後の食事)を食べます。つまり日中は食事も水も一切とらない。唾を飲み込むことすらしないといいます。これをすることで、貧しい人の気持ちを知る、また自分の欲を抑えるというセルフコントロールのトレーニングでもあるといいます。イスラム教徒にとって、とても大切な時期です。
断食月になるとオフィスなども業務終了時間が早まります。そのため街は夕方になると家路を急ぐ人々のため大渋滞になります。一方イフタールの時間になると一気に人も車も少なくなり、いつも大渋滞でクラクションが鳴り響いているダッカの街が、びっくりするくらい静かになります。
ここに暮らしていると、宗教の存在について考えることがたくさんあります。それは「国教」のある国に初めて住む私にとって驚きも多くあります。「宗教」を軸として物事が動く社会に、不思議さや、時に疑問を感じることもあります。この国では、他の宗教を否定しているわけではなく、様々な宗教を持つ人々が一緒に暮らしている国なのです。ヒンドゥ教のお祭の日もクリスマスも休日です。このバランスはどのように保たれているのでしょうか。いえ、表面的には保っているように見えているだけで、裏にはいろいろな感情があって当然でしょう。
先日ボリシャルに行って、ストリートスクールに通う子どもたちに話を聞きました。その中の一人に、この環境で自分が生きていくためにイスラム教徒のふりをして名前まで変えている、というヒンドゥ教徒の子がいました。その子はまだ6歳くらいの子です。そんな小さな子が、自分でそうすることを決めたという現実。
「国教」を持つ国の中で他の宗教の人はどのような気持ちを抱き暮らしているのか、ということが以前から少し気になっていたのですが、この子に出会ったこと、そしてラマダンの時期に入り社会全体がイスラム教の時間で動く状態を見て、この国の「宗教」に対する人々の暮らし・感情がますます気になっています。
夕焼けの空にアザーンが流れる