13日から17日まで、カトマンズに出張に行っていました。東京からの出張者3名と、ネパール+バングラデシュの駐在員3名が、朝から夕方までああだこうだと議論しながらこれからの海外活動のポリシーについて話し合う、という会議。カトマンズ事務所のお座敷タイプの会議室(ネパールは座るスタイルの会議室が多いそう)で、ネパール模様の座布団にあぐらをかきつつ話し合うこと3日。脳みそが疲れました…。
シャプラニールに入ってすぐダッカに赴任した私にとって、初めてのネパール出張。ホテルから事務所の行き帰りと、食事に出る時ぐらいしか街を見る時間はなかったけれど、藤崎カトマンズ事務所長のブログにも紹介されていた美しい紫色のジャガランダの花を愛で、暑いダッカとは大違いの爽やかな涼しい風に吹かれ、日本食レストランで鱒寿司や手打ち蕎麦(どちらもダッカにはない)を食べ、冷えたビール(ダッカでは持ち込まない限りレストランにはない)を飲み、同僚たちとお喋りして、いい気分転換になりました。
今回泊まっていたのは、旅行者の多いタメル地区にあるチベット人経営のゲストハウス。さすが観光地だけあって、カトマンズのホテルは安くて部屋もいいんですよね。15ドルもあれば、お湯もちゃんと出る十分立派な部屋に泊まれます。同じぐらいの部屋に泊まろうと思ったら、ダッカで25ドル、コルカタで40ドルぐらいするんじゃないかなあ。
このゲストハウスのロビーは、天井や壁の模様もチベット風なんですが、ここの壁にかかっていた大きな絵に、私は思わず吸い寄せられました。それはカトマンズの遥か上空から鳥が見下ろした光景を描いたような絵。真ん中より少し上を左から右へ横切るようにヒマラヤの白い峰が連なっており、その下(手前)にカトマンズをはじめとしたネパールの景色が描かれています。絵の上のほう、つまりヒマラヤの向こう側にはチベット高原が広がり、その中央に燦然とラサのポタラ宮殿がそびえているのでした。
カトマンズで暮らしていると見えないけれど、ヒマラヤの向こうに美しい故郷がある―。戻りたくても戻れないチベットへの望郷の念を塗りこめたような絵で、見ていると切なくなってしまいました。
インドに住んでいた頃、デリーで開催されたチベット映画祭で見た、チベットからネパールへ決死の覚悟で亡命した人たちのドキュメンタリーを思い出しました。ヒマラヤの峠越えの道を、信じられないような軽装、破れた靴で歩いて亡命する人たち。途中で行き倒れた人、凍傷で手足の一部を失った人。そうして山越えをしてきた多くのチベット人たちが、今、カトマンズでは逞しく生きていました。
雨期のため、カトマンズの上空は雲が多く、見たくてたまらなかったヒマラヤの峰は、今回の出張中まったく見えず。飛行機からですら、雲に阻まれて遠くにちらっと見えたか見えないか、という程度。窓に張り付いてひと目ヒマラヤを見ようと首をねじる私をあざ笑うように、飛行機はするすると南へ下り、あっという間に広大なベンガル平野に降下し始め、ダッカに着いてしまったのでした。
山好きの私としてはとても心残り。ヒマラヤがきれいに見える乾期の頃に、今度は休暇で絶対行くぞ!できればカトマンズからラサへ陸路で往復してみたいけど、そんな長い休暇はムリよね。
東京からの出張者3人は明日カトマンズからダッカへ移動してきて、あさってから2日間はバングラデシュでの今後の活動方針について話し合う会議。ヒマラヤのことは忘れ、バングラの現実に戻って明日からまた頑張らねば。