シャプラニールは多くの方々とのつながりによって
50年という長き道のりを歩み続けることができました。
そんな私たちにとって大切なつながりを持つ方々へインタビュー。
それぞれの想う「シャプラニール」の姿が見えてきました。
シャプラニールは多くの方々との
つながりによって50年という
長き道のりを歩み続けることができました。
そんな私たちにとって
大切なつながりを持つ方々へインタビュー。
それぞれの想う「シャプラニール」の
姿が見えてきました。
肥下彰男さん
高校教員/ シャプラニール会員・地域連絡会メンバー
PROFILE
大阪の府立高校の教員。第1回のバングラデシュのスタディツアーのツアーリーダー。大阪の地域連絡会のメンバーとして活動。
バングラデシュと関わり始めてから
私が初めてバングラデシュに行ったのは1982年です。翌年に発行されたシャプラニール会報26号「巻頭言」に、10周年記念に招へいしたバングラデシュ人ソーシャルワーカー2人を大阪の被差別部落に案内し、子どもたちとの交流して感じたことを書き、文末に「私とバングラとの関りは、自分が関わることができなかった「自然」「地域」「仲間」との関りなのかもしれない。そして、それらとの関わりを通して、私は少しずつ何かを取り戻している様な気がしている。」と書いています。以来、40年近くが経ちましたが、シャプラニールの一会員としてバングラデシュと関わり、いま自分が働き、生活している場所で、「しんどい」生活を強いられている人たちを支えあう「地域」を取り戻すことをずっと追いかけてきたように思います。
バングラデシュの成人識字教育から着想を得て
2021年に放送され、大きな反響を呼んだNHK逆転人生「貧困の連鎖を断て!西成高校の挑戦」の中で紹介された「反貧困学習」(*)は、私がバングラデシュで出会った成人識字教育から着想を得たものです。反貧困学習の7つの視点の1つ目に自らの生活の「意識化」を掲げましたが、この「意識化」という概念はブラジルの教育思想家であるパウロ・フレイレが提唱したものです。私が当時見たバングラデシュの識字教育の教材では意識化の「出口」としてショミティ(貧農組合)の活動が中心に置かれていましたが、現在の教材はどのような内容になっているのか気になります。
日本では2013年に「子どもの貧困対策の推進に関する法律」が成立し、学校がプラットフォームになることが明記されました。私が勤務している学校では法が成立する前から地域と連携して対象となる生徒やその家庭を支援してきました。多くの事例を通して実感としてわかってきたことは貧困状態にある家庭を支援するためには、重層的で継続的な支援が必要であるということです。大阪市西成区では月に一度各中学校区で、行政関係者や学校、そしてNPOが集まり、支援の方向性を話し合っていますが、最も重要な役割を果たしているのがNPOです。私がバングラデシュに行って感じたことは、行政の役割の多くをNGO・NPOが担っていることでしたが、日本では行政機関が整備されていても、それを有効に機能させているのはNPOであることの一例です。現在のバングラデシュではNGO・NPOは地域でどのように行政機関と協働しているのかも気になります。
40年関わりを続けて
40年経ってやっと私もバングラデシュのソーシャルワーカーたちと対話できるようになったのかなと感じます。JICAの教師海外研修で訪れたタンザニアで「山と山は出会えないが、人と人とは出会える」という格言を聞きました。もう会えなくなったワーカーたちもいますが、COVID-19が収束すればこの対話を実現したいと思います。
*反貧困学習:非正規労働者や貧困家庭の多い大阪府西成区にある大阪府立西成高等学校で取り組み。反貧困をテーマにした人権総合学習の実践と教材、および学校改革のめざすものをまとめた本「反貧困学習~格差の連鎖を断つために(大阪府立西成高等学校 著)」も出版されており、教員である肥下さんも編集に関わっている。