「人は本当に追い詰められた時、その人のなりの底力が出せる。ただ、助けようとする人が回りにいたとしても、本人がその気にならない限り、助けにはならない。」藤崎さんのブログに書いてあった言葉だ。

私がこれまで支援が必要とされる人々に関わってきて見たことは、人は本当に追い詰められている状況になると、自分にどんな支援が必要なのかが判らなくなってしまうことだった。しかしその一方で、追い詰められている人に限って、支援を受けることに拒否的であるという状況も目にしてきた。

困っているのに、支援を受け入れようとする気持ちにならないのはなぜだろうか。それは人間の本質として、他人から支援を受けることを心の奥底では恥ずかしいと感じており、困難な状況にいてもできれば自分でなんとかしたいと思っているからなのだそうだ。これは支援の現場、人、地域、あるいは国家間でも共通することなのだと思う。自分で何とかしたいという気持ちを、他人に踏みにじられまいとする意思を誰もが持っていることを覚えておきたい。

そうだとすれば、どんな支援であれば、支援をする者としてどのように接すれば、相手が自分のプライドを捨ててまで「支援を受けよう」と思えるようになるのだろうか。自分でなんとかしたいという気持ちを支えることになるのだろうか。「支援」の、あるいはエンパワメントの根本的課題はここにあると思う。

こうした意味で、私は冒頭文章の「その気」という部分は、「底力を出そうという気持ち」「がんばろうという気持ち」ではなく、「支援を受け入れようとする気持ち」なのではないかと思っている。