以前、このブログで、私のバングラデシュ人の友人夫婦が、少数民族の血を引く男の赤ちゃんを孤児院から引き取り、養子にしたことを書きました。この子が1才の誕生日を迎え、お祝いをするというので、先週末彼らの家に行ってきたら、ディープ(前にはディップと書きましたがディープのほうが音に近いよう)という名のこの子はもう部屋から部屋へ歩き回るようになっており、育ての母のジュムルもすっかりお母さんらしくなっていました。お祝いにあげた日本土産の甚平を着たディープは見た目まるで日本の子どもみたい。車と犬が大好きで、外に出たがって仕方ないんだそう。幼稚園から英語で教える有名な学校でよい教育を受けさせるつもりなんだ、と父親のディプが言っていました。
さて、今回訪問して知ったのですが、この家のメンバーにはもうひとり10歳ぐらいの女の子が増えていました。シルピーというひょろっと手足の長い恥ずかしがり屋の少女で、この子もディープとは違う少数民族のサンタルの子だそうです。シルピーの実母は独身寮のようなところで賄いの仕事をしていたそうですが、非常に貧しい上、夜はシルピーをほったらかしていろいろな男の人と遊びに行ってしまい、日本で言うところのネグレクトのような状態にあったようです。シルピーの父親も誰だかわからない、という話でした。シルピー本人も学校に行く気がなく、毎日ただただテレビを見ていたのだと。
共働きのディプとジュムルは、養子のディープの世話や家事のためにおとなの通いのお手伝いさんを一人雇っていますが、もうひとり手伝いが必要だと思っていたところへそういう状況にあるシルピーをみつけ、子守り兼家事手伝いとして引き取ったのだそうです。シルピーは彼ら夫婦をお父さん、お母さん、と呼んでいるそう。私が行ったときも、台所で料理するジュムルを忙しく手伝っていました。
この日はシルピーについてこれ以上詳しいことは聞けなかったのですが、なんだか複雑な思いがしました。ディープもシルピーもこの家にいて、ディプとジュムルをお父さん、お母さんと呼んで育っていく。ディープはこの家の子どもとして高い教育も受け、両親の愛情をいっぱいに受けて育っていくでしょう。ディプとジュムルのことだから、シルピーの将来のことも色々考えて接していくことと思いますが、それでもシルピーはあくまで「お手伝い」であって、書類上も正式にこの家の養子となっているディープとはやっぱり違うのです。シルピーはほとんど学校にも行かずにおとなになるのでしょう。彼女はそのことをどう受け止めながら育つのでしょう?もう既にディープと自分のこの家での立場の違いを理解しているのでしょうか。
シルピーは養子でもなく、完全に「仕事」として雇われているわけでもなく、半分この家の子ども、半分お手伝いさん、といった感じです。このあたりの感覚がなかなか私には理解できないのです。家において食べさせ、育てていることも確かなのですが、自分の子どものようには教育は受けさせないし、いろいろ家事をさせるわけです。この扱いの違いの加減も家によって様々で、限りなく自分の子どもに近い扱いをしている場合も(稀ですが)あるし、人間と思っていないような酷い扱いで、奴隷制度そのものだと思うような場合もあります。年端もいかない子どもがひとりで他人の家で暮らすのは、普通に考えればとても辛いことのはずですが、実の親が暴力を振るったり、まともに食べさせられない場合もあるので、一概に親の家がいいとばかりも言えません。
シャプラニールでは昨年度から「家事使用人として働く少女たちの支援事業」を実施しており、シルピーのような子たちに勉強や家事・手芸などの技術研修、レクリエーションの機会を提供しつつ、親や雇い主への働きかけを行っています。この事業を行いながら、家庭で使用人として働く子どもたちにも様々なケースがあることがわかってきました。住み込みの場合は親戚の家にいる場合もあり、その子の家の中での立場や状況をどう考えたらいいのか難しい時があります。使用人と家族・親族の間の線引きがかなりグレーな場合があるということです。親戚であっても富裕の違いが大きければ、貧しい方が豊かな方の言いなりになる、ということもあるでしょうし…。
いずれにしても日本の感覚だけで判断するのは困難だし、それを押し付けたら間違うだろうと思います。この国の習慣や現状を踏まえた上で、すべての子どもたちの権利が守られる社会に近づけていくには、ここの人たちの考え方を理解し、長期的な展望をもち、この国の心ある人たちに主導してもらって、根気よく働きかけを続けていく必要があるでしょう。
次にこの友人宅を訪ねるときは、ディープだけでなくシルピーにも必ずお土産を持っていこう、と思っています。