皆さん、こんにちは!事業グループインターン岡庭です。 
インターン企画として、「在留資格なく日本社会で大人になることの意味」と題し、クルド人大学生へのロングインタビューをレポートしたいと思います。 
長くなりますが、ご興味のある方はぜひお付き合いください。 

※本インターン企画レポートは、2024年3月2日(土)にシャプラニール主催の多文化コミュニティスペース「マザリナ」で行われたイベント内でのお話とインタビューをもとにしています 

クルド人大学生にご登壇いただいたイベントの様子

はじめに-『クルド人』と『難民』と在留資格 

皆さんは、『クルド人』という民族を知っていますか? 

トルコ・イラン・イラク・シリアの国境周辺の『クルディスタン』というエリアにルーツを持つ中東系の民族で、世界に約4,000~8,000万人いるとされ、”国を持たない世界最大の民族”とも呼ばれています。
4,000万人というと、だいたいポーランドと同じ人口です。 
クルド人の民族アイデンティティを同化政策によって封じ込めようとするトルコ政府の政治的弾圧を主な理由に、1990年代からビザ取得不要な日本へ移住が始まったとされています。
現在、正確な数は不明ですが、埼玉県川口市・蕨市を中心に約2,000人~3,000人のクルド人が生活していると言われています。
彼らの多くが来日後に難民申請をしていますが、認定に至った人は1名のみです。その背景には、トルコ政府が『クルド人』という民族の存在を認めていない以上、日本政府としてクルド人を難民認定はできないという政治的理由があるとされています。

『難民』とは、難民条約に基づいて法務大臣に認定された人を意味し、日本国民とほぼ同等の権利(社会保障等)を受ける資格があります。
つまり、法務大臣に認定されない避難民は『難民』ではないが故に、大幅に権利を制限される可能性が高いということです。
日本の2022年の認定者数は202名、認定率は1.7%でした。これは、世界の各先進国の認定率(約15%)や認定者数(年間数千~数万人)と比較すると、非常に低い水準であることが分かります。 

「難民ではない」と判断された人々は、日本で生きていくために在留資格が必要となります。
しかし、政治的弾圧を理由に身ひとつで逃れてきた人々が在留資格を取得できるケースは稀で、多くは在留資格のない『仮放免』という身分で生活することが多いです。
仮放免とは、在留資格条件を満たさないことを理由に入管に収容された後、逃亡等の危険がないので収容を解かれることを指します。しかし同時に、就職・高等教育の道が限りなく狭くなり、移動制限が設けられ、かつ、出身国への強制送還リスクと常に隣りあわせです。
仮放免の身分の人々は、日本社会においては非常に弱い立場に置かれています。そして、彼らを支援する人もいれば、批判する人も存在するのが現実です。 

昨今は、改正入管法をはじめ、難民や在留資格に関する問題は活発に議論されています。
このレポートは、特定の立場を擁護・批判する意図は一切ありません。しかし、日本社会に暮らす人間として、1人でも多くの方が現状を知り、当事者の声に関心を持ち、考える機会を提供できれば幸いです。 

■ロニーさんのはなし 

  • トルコから日本へ

現在日本で大学生活を送るロニーさん(仮名)。
彼は、トルコにあるクルド人だけが住む村で生まれ、祖父母と両親に囲まれて育ちました。村のインフラ整備は不十分だったため、買物は町へ出かける必要がありました。町では、クルド語を話すと差別を受けることもあったそうです。 

ロニーさんが1歳半の頃、父親が政治犯として捕まるという事件が起きます。 

ロニーさん(以下ロニー):ネウロズという、新年を祝うクルドのお祭りに参加していただけでした。そこでの記念写真に写っていた人が全員、政治犯として拘束されたんです。身を守るために、父はコンテナに身を隠して欧州に逃げるつもりでした。しかし、父が出国する前日、コンテナを積んだ船が沈没して、親族を含め中に身を潜めていた人は全員亡くなりました。父はコンテナでの欧州行きを諦め、飛行機で日本に向け出国しました。 

父親がいなくなった村で、ロニーさんは少年時代を過ごします。
村には小学校が1つだけあり、全学年が同じ教室で1人の教師から授業を受けていました。モスクではコーランを、学校ではトルコの歴史・算数・ローマ字、そしてトルコの偉大さを学ぶ日々。 

ロニー:学校の建物に一歩入れば、クルド語の使用は禁止されていました。そういう貼紙もあった。中学3年生までは「トルコ人になりたい」と思っていました。 

8歳の時、母親と初めて日本の土を踏みます。しかし、来日後3日間はホテルに収容されました。 

ロニー:母に言われて、ホテルの窓から外の道路を見下ろしました。すると道路からこちらに向かって手を振る男性がいて、母が「あれがお父さんだよ」と。それが、記憶に残る最初の父親の姿でした。 

収容を解かれた後、ロニーさんは父親との対面を果たし、日本での家族生活が始まります。

  • 日本での生活(小・中学時代) 

来日から約3ヶ月が経過した後、ロニーさんは小学校へ通い始めます。しかし、日本語が全く分かりません。更に、学年で唯一の外国人生徒ということで、少し怖がられていたそうです。 

しかし、だんだんと周囲に溶け込み、会話をして、友達もできるようになりました。 

ロニー:ある日サッカーに誘われたんです。でもルールも分からないから、ひたすらボールを追いかけて、蹴って。背も高かったので。サッカーを通じて友達がたくさんできました。楽しかった。 

そして、ロニーさんは「将来はサッカー選手になりたい」という夢を抱くようになります。

しかし、来日から1年を待たずして、父親が入国管理局(入管)に収容されます。
ロニーさんと母親は、知人を頼って転居・転校を余儀なくされました。転校先では父親の収容が周りに知られ、「犯罪者の子」だと思われ仲間外れにあいます。 

ロニー:辛かったです。でも、前の学校では子どもよりも保護者の方が可愛がってくれたから、今回もそうなんじゃないかと思って授業参観の時に保護者の近くに行ってみたんです。そしたら「あの子のお父さんは悪い人だから遊ばないで」と子どもに言っているのを聞きました。本当に、ものすごく…ショックでした。 

父親の収容理由を理解できず、「父が悪いことをした」と思ってしまったというロニーさんは、学校を休みがちになります。月2~3回程しか学校に行かず、ほとんど日中は公園で一人で過ごし、下校時間に帰宅する毎日でした。トルコでの教育で「トルコ人になりたい」と思っていたこともあり、父親を理解することもできなかったと言います。
そんな中、「父は犯罪者ではない」と教えてくれたのは、ロニーさんの異変に気が付いた母親でした。 

約3ヶ月の収容を経て、父親は帰宅します。
そして同時にロニーさんも通学を再開しました。勇気を出して、父親は犯罪者ではないとクラスメートに根気強く何度も説明し、理解を得ます。 

その後一家は、家族で以前に暮らしていた町に戻り、ロニーさんも元の小学校へ通い始めます。
楽しい学校生活を送りながら、「サッカー選手になりたい」という夢を叶えるために毎日練習して努力しました。 

ロニー:でも、父が入管へ出頭する日は「捕まってしまうのかな」という不安を感じていました。 

  • 日本での生活(高校時代) 

高校でもサッカー部に入部し、練習に励みます。
そんな中、入管から、今まで両親が行っていたロニーさんの難民申請を今後は本人が行うようにと通達があります。
初めての入管出頭に緊張しながらも、日常生活や学校生活に関する多くの質問に答えました。しかし最後に入管職員から、「日本で学校に行っても在留資格が無いから時間とお金の無駄。だから国に帰りな」と言われます。 

ロニー:最初は言われた意味が分からなくて、もう一回聞き返しました。自分の聞き間違いかもしれないと思って…でも、同じでした。無駄だから国へ帰りな、と。 

また、入管職員は、「仮放免の身分では就職や移動の制限があるため、どんなに努力しても選手としてサッカーチームには入ることができない」と告げました。 

ロニー:なんでそんなことを言われるのか、と疑問に思い、怒りを覚えました。そして、良い成績を取って成績表を持っていけば認めてくれるかもしれないと思い、一生懸命勉強しました。高2に上がる前の出頭日に成績表を持っていきました。すごい優秀な成績で。でも、ダメだった。「どんなに頑張っても無駄」と言われました。 

暗澹たる気持ちに打ちのめされたロニーさんは、「何をやっても無駄なら…」と、サッカー選手になる夢を諦め、サッカー部を退部します。 

ロニー:本当は退学もしようと思いました。でも今まで支えてくれた人たちの想いや、「自分たちはきちんとした教育を受けられなかったからせめて息子は」と頑張ってくれた両親を裏切りたくなかった…その一心で高校に通いました。 

高校2年生のある授業で、ロニーさんは『人権』について学びます。
人権とは「人間が生まれながら持っている権利であり、誰からも奪われることがない権利」であると。
そしてロニーさんは思います。「私の人権は保障されていない」と。 

それまでロニーさんは、在日外国人はみな同様の経験をしているものと信じていました。
就職できないのも、学業が制限されるのも、サッカー選手になれないのも、入管で「努力が無駄」と言われるのも、全て外国人であるからだと。 

しかし、そうではないと、この時気が付いたのです。 

ロニーさん:日本政府はクルド人の人権よりトルコ政府との関係を優先し、トルコから来日したクルド人を1名しか難民認定していません。仮放免を理由に人権を制限され、入管からトルコへ帰れと言われている状況は、「人権が保障されている」とは言えません。 

例として挙げられるのは、保険証が所持できないことです。
ロニーさんの両親には持病があり、2019年に母親が鼻を、2020年には父親が片耳を手術することになりました。保険証がないため、全額自己負担です。しかし仮放免者は就労禁止でもあるため、支払は困難です。このような状況から病院に行かず、結果的に怪我や病気を悪化させるクルド人も多いと言います。 

ロニー:父の病気は放置したことで悪化し、片耳の手術に116万円もかかりました。全額自己負担です。似たような状況の人は他にもいます。 

  • いま、そしてこれから 

2023年7月、川口市の病院に、クルド人約百人が集まって暴動が起きる事件がありました。
報道によれば、夜中だったこともあり周辺住民は戦々恐々とし、医療の受入も一時的に停止されました。
背景には、クルド人の文化的側面があると指摘する報道が多く見受けられます。また、SNSでも反クルド人感情を煽る過激な投稿が増加し、クルド人援助団体には脅迫も届くようになったと言います。 

ロニー:夜中に百人も集まったら、そりゃ怖いですよね。クルド人云々に関係なく、迷惑なものは迷惑です。夜中に集まって騒いだり、街なかで車を暴走させたり、そういう迷惑行為をする人は、取締まるべきです。 

この事件は、女性問題に端を欲する男性同士の傷害事件と報道されています。しかし当の男性同士が病院の同フロアに入院したことから、心配した双方の親族が駆けつけ、ことが大きくなってしまったそうです。
クルド人にもこの騒動を抑えるよう同胞に働きかけた人もいれば、警察に適切な取締りを訴えた人もいます。 

ロニー:私も警察に行きましたが、クルド人の問題に首を突っ込みたくないと言わんばかりに、ちゃんと対応してもらえませんでした。 

クルド人は、非常に親族の繋がりを大切にする民族と言われます。そして彼らの大多数が親族を頼って来日し、仮放免者として暮らしています。

昨年末、ロニーさんは家族とともに在留資格を取得しました。 

ロニー:すごく嬉しかった。本当に嬉しかった。自分がここにいる、存在しているって、認められた気がしました。在留資格をもらった友人は、部屋中に住民票を貼りたいと言っていましたが、気持ちがよく分かります。 

在留資格が無い時は、路上での職務質問の対応もひと苦労だったと言います。 

ロニー:質問してきた警察官が仮放免のことをよく知らないと、入管に電話をして確認するので、30分以上待たされることもありました。しかも、それが友達と一緒にいる時に何度もあってつらかったです。逆に今は、早く職質を受けて、在留カードを提示したいです(笑)。 

在留資格取得によって、就職や就学の可能性が格段に広がっただけではなく、強制収容・送還リスクに怯える生活にも別れを告げ、晴れ晴れとした気持ちで日常生活を送ることができるようになりました。 

一方で、在留資格を持たないクルド人との間に、心の溝を感じるようになります。 

ロニー:在留資格をもらった後に言われたのが、「なんか変わったね」って。自分はそんなつもりないけど、ピリピリしなくなったんでしょうか。あと多分、嫉妬されていたのかなと思います。自分は資格がないのに、なんでお前だけって。 

ロニーさんに「なんか変わったね」と言った友人は、後日無事に在留資格を取得できたそうです。
しかし、このエピソードは、日本社会における仮放免の立場の危うさ、そしてその不安定な中で生きるクルド人の心情を象徴していると言えるかもしれません。 

現在大学生であるロニーさんの将来の夢は、自分と同じような仮放免という境遇のクルド人を助けることです。
海の向こうに目を向けると、「クルド人であること」「クルド語を話すこと」、たったそれだけを理由に拘束・拷問され、最悪の場合殺されるケースは今も後を絶ちません。
しかし同時に、日本に逃れても、仮放免という立場であるが故に様々な機会を失う可能性も高いことが現状です。入管職員の不遜な態度が原因で、日本人に対するマイナス感情を抱くクルド人もいます。 

ロニー:それでも、長期間日本に滞在して、日本を第二の祖国と思うクルド人もいます。私もその一人です。 

そういう気持ちになる背景には、各種支援や日本語教室といった草の根活動を行うNPO・NGO団体の存在があります。
学校に行きたくても、言葉や資金など、様々な障壁を理由に通えない子どもたちがいます。そうした中で、高校・大学に進学するクルド人の数が増えているのは、こうした支援団体の長年の努力が実を結んでいるからだと言えるかもしれません。 

ロニー:これからの道すじとして求められることは、2つです。
まず、クルド人と市民のつながりを促進すること。地域の一員として生きていくためにも、地域の方々との信頼関係構築は重要です。そしてその重要性を公的機関にも理解・後押ししてほしいです。
次に、アドボカシー、すなわち弱い立場に置かれている人の権利擁護です。例えば、入管が扱う膨大な書類審査を流れ作業にしないために、第三者監査機関を設置して、公平・公正な審査を適切な時間をかけてやってもらうことも必要です。啓発も大切だと思います。こういう状況があるということを、まずは色々な人に知ってもらいたいです。 

インタビューを終えて -インターン岡庭の所感 

ここまで長いレポートを読んで頂き、ありがとうございます。
ロニーさんの半生、皆さんはどう受け止めたでしょうか。 

3/2のマザリナに参加された方々の感想を、簡単にご紹介したいと思います。 
・自分は何も知らないということを思い知った
・入管がそこまでひどい対応をするとは知らなかった
・個人と集団の意思表示には、違いがあるかもしれない
・日本国内にいるクルド人には言葉、制度、文化の壁がある
・入管に行くと自信をなくす
・情報を鵜呑みにしないことが大切だ
色々な感想を持った方がいて、私自身も考える機会を頂きました。 

最後に、私(岡庭)が今回のインタビューを終えて感じたことを2つ簡潔に述べて、本レポートを終わりたいと思います。 

1つめは、自身の無知を知ることが知への第一歩になるということです。
マザリナ参加者も複数名同様の感想を述べておられましたが、日々の生活に忙しくしていると、自分の生活枠組みの外側に存在するヒト・モノ・コトに意識が向きづらくなると感じます。
そして「意識しない=存在しない」かのように錯覚することもあると思います。
自分の生活枠組みの外側の世界を知ること、そして興味を持つ、関わる、調べる、そうしたことこそが、無知に気づき乗り越え、相互理解に繋がる知のファーストステップなのだと感じました。 

2つ目は、安易なカテゴライズは危険だということです。
例えば、クルド人の両親を持つ日本生まれ・日本育ちの人は、または日本人の両親から生まれた生粋のニューヨーカーは、『何人』と呼ぶのが適切でしょうか。
個人の抽象度を高めるカテゴライズは集団の団結感を高め、ものごとを前に進める大きな推進力を生み出します。しかし、抽象化の過程で削ぎ落された性質が、個人のアイデンティティの重要な要素であることも少なくありません。
自戒を込めて、自分がマジョリティ側に属している時ほどこの事実を忘れがちになるので、改めて、カテゴライズの利便性・危険性を認識したいと思います。 

ここまで長文をお読みくださり、ありがとうございました。 

事業グループインターン 岡庭尚代