こんにちは、国内活動グループインターンの小野です。
シャプラニールで働く職員の方々がどういった経緯で国際協力の業界やシャプラニールで働くに至ったのかを知りたいという思いから、この度インタビューを行うことになりました。実は、以前のインターンさんも同様に「職員インタビュー」を行っており、私はその後に入職されたお二人の方にお話をお伺いしました。
1人目は、海外活動グループ、ネパール事業担当の菅野冴花さんです。
高校生の時に興味を抱いてから現在に至るまで、国際協力への携わり方に悩み、模索し続けた菅野さんの歩みを詳しくお聞きしました。
人との出会いが国際協力への目覚め
小野:国際協力の業界で働くことを志すきっかけとなる出来事があれば教えてください。
菅野:もともと洋画が好きで観ていて、海外の文化や英語に興味がありましたが、最初に国際協力に興味を持ったのは高校生の時です。理系ではないのですが、とある理系の研究所へ行くという合宿形式のイベントに高校の夏休みに参加しました。そのイベントは全国から学生が参加していて、地元(群馬)の学生以外と交流したことのない私にとっては刺激的でした。その中に1人環境問題に関心の高い子がいて、環境NGOでボランティアしていることを聞き、自分の興味を社会的貢献に結び付けて考えられているのはすごいなと思いました。自分の好きな英語や洋画などは今までただの興味関心だったけど、いずれ仕事をする時、社会に出ていく時には、人のためになるように消化させていきたいと思うようになりました。
他にも地元の美術館に写真展がきていて、そのタイトルが「100年の愚行」だったんです。山の木が半分なくなっていて環境問題を訴える写真や、戦争の被害を示す写真、原発の写真などが展示されていて、人間ってなんて愚かな行いをしてきたんだろうと思うのと同時に、自分がそういった社会課題に興味があることを認識しました。
小野:高校生の時に国際協力や社会課題に興味を持たれたのですね。その後大学ではどのようなことを勉強されていたのですか。
菅野:高校生の時にもった興味から、大学は国際関係学科に進み、国際協力のいい面だけではなく、失敗例などにも興味を深め勉強しました。例えば、援助をしすぎて現地の人々が支援に頼り切ってしまい、依存状態を生み出してしまった結果、自分たちで何かしていこうという力を奪ってしまうなど。
当時、マザーハウスというバッグのブランドが、ちょうど設立されたころで、コンセプトとして掲げられていた「途上国に必要なのは、支援じゃなくて、対等なビジネスだ」という言葉はすごく共感したし、憧れました。また、どういった支援のあり方がいいのかを自分なりに模索し、現地に行ってみないと分からないことがあると思い、シャプラニールのスタディツアーに参加しました。実際に行ってみると、やはり、本や授業を通じてイメージしていたことと、実際の現地の様子はだいぶ違う部分があるということを知り、現地にもう少し長くいたいと思うようになりました。それがきっかけで青年海外協力隊に応募しました。本当はバングラデシュに行きたかったのですが、私が応募できるバングラデシュ要請が当時はなく、同じ南アジアのネパールを希望したところ、運よく合格し、大学卒業後派遣されました。
ネパール滞在の2年間で見えてきたこと
菅野:ネパールでは首都からバスで7時間くらいの農村地域に派遣され、コミュニティラーニングセンター(CLC)という事務所に配属されました。ネパールのCLCは地域ごとに様々なことを実施しており、私の配属先では女性向けに色々な研修を実施していました。例えば、幼い頃に学校に通えなかった女性に対しての識字教室、また生活向上支援として、家にいながら現金収入を得られるよう野菜やキノコの育て方、養蜂の仕方などの研修です。そこでの私の仕事は、現地の女性たちからニーズを聞き出し、それをもとに研修を組み立てるコーディネーターというものでした。村のこの人は○○が得意だからこういう研修の先生ができるかもしれない、あの農業事務所はキノコの種をくれるだろうなど、様々なところからリソースをとってきていました。
小野:現地での2年間を通して、赴任前の現地をもっとみてみたいと思っていた部分は感じることができましたか。
菅野:そうですね、行ってみないとわからない現地のニーズみたいなものはあるなと感じました。そこには、現地の生活文化や宗教慣習、社会状況的なものも背景にあって、現地で暮らす中でそれを理解できたのはよかったです。
小野:ネパール滞在を経て、国際協力を仕事とすることへの思いは強くなりましたか。
菅野:なりました。だけどまだそこには悩みがあって、国際協力への道には進みたいとは思いましたが、その方法は多様にあり、どの道に進むのかは帰国してから悩みました。やりたいことが明確に定まっていた青年海外協力隊の同期は、専門性を高めるため大学院に進学する人もいました。
小野:迷う大きな要因は何だったんですか。
菅野:色んな方法があって、選べなかったんですかね。
私がネパールで知り合った外国人ツーリストの人が、現地のガイドさん経由に援助をしていたんです。お金をもっている人にすがりたい気持ちはわかりますし、否定はしませんが、現地の人がそういう人に依存している姿を見て、頼られすぎるのもどうなのかなと思ったんです。これってお互いの為に良くない関係性だなと思って、見ていて悩みました。
模索するなかでたどり着いたシャプラニール
菅野:帰国後は“自分なりの持続可能な国際協力の方法を模索していこう!”と思い、大学時代に興味のあった人材育成による国際協力に携わりました。ある自治体が国際協力の一環として、毎年複数名の研修生を途上国から招聘し、その地域の研究機関や企業で技術を学んでもらうというプログラムを運営していて、その研修員のサポートを担当していました。研修後、学んだことを活かして現地で活躍する姿を見て、人材育成の重要性もやりがいも感じていました。
しかしもともとマザーハウスなどのソーシャルビジネスへの憧れもあり、その後民間企業でソーシャルビジネスを行っている会社で働きました。その会社はお買い物を通じて誰もが社会貢献に参加できるように、フェアトレードや環境に配慮した商品、寄付付き商品など、社会課題解決に繋がる商品を販売していました。私はECショップの運営、実店舗での販売、百貨店などでのポップアップショップの開催などを行っていました。
小野:国際協力といっても様々なアプローチの仕方があるのですね。支援とビジネス、人材育成と商品販売という全く異なる2つお仕事を経験された菅野さんからみた、両者の一番大きな違いが何だと思いますか。
菅野:ソーシャルビジネスに携わっていた時は、商品を生産している企業さんとのやり取りもありました。1つ1つの企業さんの話を聞くと、社会課題解決ために使命感をもって事業をやられていて、そこは支援の考えと同じだと感じました。
事業の組み立てにもよると思いますが、違うと思ったのは、ソーシャルビジネスはやはりビジネスなので、利益をあげないといけないということ。もちろん雇用を創出することやお互いの持続可能な成長という部分では大事なことですが、そこは大きな違いですね。しかし、そのビジネスのチャンスにも手が届かない人もまだまだたくさんいて、例えば、家事使用人としては働く少女や自然災害が起きやすい地域に住んでいる人たち、私はそういった人たちにも手を差し伸べたいと思い、シャプラニールの扉をたたきました。
小野:国際協力への携わり方を模索するなかで、携わりたいと思う対象がビジネスや公的な支援を受けることができず取り残されてしまう人に絞っていったという感じですか。
菅野:そうですね。自分なりに持続可能な支援の方法を探し、色んなことを経験していく中で、だんだんと見えるものが変わっていき、今は“取り残された人々への支援”に興味があります。
取り残された人々の声に耳を傾ける
小野:今までの話と重なる部分があると思いますが、現在国際協力への携わり方は多様に存在しています。菅野さんが本職としてNGOの職員を選んだ理由はあるのでしょうか。
菅野:実はシャプラニールに入職する前の面接でも事務局長の小松さんに「今は国際協力に携わるアクターは色々あるけど、どうしてNGOなんですか」と聞かれました。それは今まで話した経緯に重なると思います。どのアクターもいなくてはならない存在だと思いますが、私が今やりたいと思ったのは、今までの経験も踏まえ、“取り残された人々の声を大切にする支援“でした。シャプラニールは色々な失敗を経て、それを学びにして、本気で現地の人との関わり方を模索してきて今がある。その積み上げてきたものに自分も入って学びたいと思いました。
寄付への価値観に変化
小野:実際にシャプラニールで働いて、入職する前に抱いていた印象と異なっていたことはありますか。
菅野:入職する前にNGOは幅広い業務をこなさなければいけないのだろうと覚悟していました。前職がいわゆるベンチャー企業で、色々な業務に従事して学ばせてもらった経験があるので、その部分はきっと大丈夫だろうと思っていましたが、ある意味想像以上でした。
入職してすぐは“ステナイ生活”を担当していて、その協力企業さん向けにカレーや刺しゅうなどのワークショップを開催し、様々な講師をすることもあり、「私の本業ってなんだっけ?」と思う程でした(笑)。あとは、今までは国際協力の中でも海外での活動にしか目を向けていなかったですが、実際に入職し、日本での活動も毎日目にするようになりました。それまでソーシャルビジネスの世界にいたので、寄付は持続可能ではない、消費を通してお金を回したほうがいいという考え方がありました。しかしステナイ生活やファンドレイジングを担当し、寄付の勉強をしたことで、寄付って誰でも気軽に参加できる国際協力の手段なのだということを実感し、自分の考えに変化がありました。子どもたちがトレーディングカードを寄付してくれたり、全国のいろんな人が切手やはがきを寄付してくれたり、すごくたくさんの方が思いを持って、協力してくれることに驚きました。消費以上に寄付は誰でも参加できるものだと強く感じました。
現場の変化を肌で感じたい
小野:菅野さんのこれからの夢や目標はありますか。
菅野:私は駐在を希望しているので、いつかネパール駐在をしたいです。
小野:実際にネパール駐在が決まった際は、具体的にどのようなことに取り組みたいですか。
菅野:シャプラニールの行っている事業に携わるのはもちろんですが、協力隊に行っていたのが10年前なので、その当時との現地の変化を自分で感じたいです。そこからどういう事業が今後ふさわしいかを見極めながら、仕事ができたらと思っています。
小野:最後に国際協力でのキャリアを考えている方々へ一言いただけますか。
菅野:今は国際協力のアクターが以前よりも多様化し、NGOやソーシャルビジネスもしかり、ボランティアやインターンなどでも関わる方法があるので、そういったことを大いに活用してほしいなと思います。私が学生の時は、今みたいに話を聞ける人は身近にいなかったし、ソーシャルビジネスという選択肢はほとんどありませんでした。SNSもそこまで発達しておらず情報も得られないまま動いていたのですが、今は話を聞いてくれる人もたくさんいると思うので、気になるイベントには積極的に参加して欲しいです。あとは是非現地に行ってみてください!
※このインタビューは2020年12月に実施したものです。
菅野さんのお忙しいなか、お時間を割いてくださりありがとうございました。
私も菅野さん同様、自分のなかの寄付に対する考え方が少しずつ変化していることを日々実感しています。インターンとしてこの寄付の輪を広げていくお手伝いができたらと改めて思いました。
次回のインタビューは、国内活動グループ、ステナイ生活担当の髙階悠輔さんです。
お楽しみに!
国内活動グループインターン
小野