ある夕食会に呼ばれた。シャプラニールがかつて共にカマイヤ(平野部の先住民であるタルーの中で農業債務労働者のような形で働いている人たち)の支援を行っていたSPACEという団体の創設者であるギャルヴィン神父が7年ぶりにネパールを訪問しており、SPACEの関係者が集うのだという。現在シャプラニールとSPACEの間には直接の協力関係はないが、事務所を互いに訪問したり、今年に入ってSPACEの関係者に子ども支援プロジェクトの評価をお願いしたり、良い関係が続いている。
ギャルヴィン神父やSPACEの成り立ち、上述のカマイヤやシャプラニールの支援事業については、元シャプラニールスタッフの定松栄一氏の「開発援助か社会運動か」を読んでいただくこととして、今日の夕食会で印象に残ったものをお伝えしたい。
ギャルヴィン神父は76年から86年まで10年に亘ってネパールで活動を行われた方である。そのギャルヴィン神父が「あなたはネパール語を話せますか?」と聞かれた。「はい少しだけ」と答えると、神父は「私は努力したのですがあまり上達しませんでした」と言われた。そしてこう続けられた。
「でも、これはこれで良いこともあったのです。ネパール語が出来なければ勢いスタッフに頼らざるを得ないので、私が全部コントロールしなくて済んだのです」
これまで私はネパール語をいかに上手に使えるようになるかばかりを考えていた。そればかりでなく「上手ですね」「という言葉が嬉しく、ちょっと得意にもなっていた。もちろん外人のネパール語ということで、失礼なことを言っても相手から多めに見てもらえることも期待していたというのも、恥ずかしいが事実だ。
ギャルヴィン神父の言葉はそれが全くのおごりであることを教えてくれた。自分が前に出ようとすれば、どうしても誰かが後ろに退かなくてはいけない。それに気づかないで、ネパール語を流暢に話すことで得られるものより多くの事を見失っていたのかもしれない。これまでフィールドに出かけては、同行するスタッフがあれこれ世話を焼いてくれる度に「子ども扱いして」と腹を立てていた自分を反省した。
学ぶというのは何かを習得することだけを意味するのではない、ということに今日初めて気がついた。