私がネパール語を勉強していることは先日テレビ君が紹介してくれた通りだが、三年生の教科書というのは結構勉強しがいのあるもので、毎回2~30くらいの新出単語があって苦労する。30歳も後半に差しかかると、脳みそがだんだん言うことを聞かなくなってきて、たった今読んだ単語すら忘れ「あれ、どこかで習いましたっけ?」という情けないこともよくある。
先日のこと。パリジャットという女性文学者を取り上げた章でこんな文章がでてきた。
「パリジャットは花や植物が大好きで、子どもの頃は一人で庭や野原でよく遊んでいました」
ん?一人(エカント)?私の住んでいる場所の名前はエカントクナだけど、もしかして同じ単語?
先生であるアルチャナさんは、「そう、藤崎さんの住んでいるエカントクナはこのエカント(一人)から来ています」と教えてくれた。日本に留学経験のある彼女は日本人以上に美しい日本語を話す。特に敬語はすばらしいといつも感服している。親の代からパタンに住むという彼女曰く、私が住んでいる地域は今でこそ住宅街になっているが、かつてはカトマンズ郊外の誰も住まない淋しい場所だったということと、そしてこの単語がもつ別の意味、王様が一言「エカント!」と発すれば、付き人は即座に退場しなくてはいけない、そういうニュアンスを持っている言葉であることを教えてくれた。
エカントは一人もしくは孤独(孤高)、クナはすみっこ、コーナーという意味ということなので、エカントクナを日本語訳すると、孤独の土地とでもなるであろう。住宅の集まる現在の様子からは想像しがたいことである。
先日買ったネパールで発行されている英語の雑誌に、50年前のパタンの様子を収めた写真が載っていたのを思い出した。ミッション系の学校で英語を教えるためにやってきたというアメリカ人が撮影したもので、撮影場所についてキャプションがついているものの、あまりにも様変わりしているため、私にはどこなのか判別すらできなかった。
あと10年もすれば、カトマンズ郊外に広がる牧歌的な風景もなくなってしまうに違いない。日本では、開発や区画整理をしていくなかで古くから伝わる地名がどんどん姿を消しているが、ネパールでは同じことが起きないように祈っている。