2015年4月25日ネパール大地震。
2016年4月14日、16日熊本地震。
ゴールデンウィーク近くになり、今年は何も起きないで欲しいと願ってしまう。そんな時、広報担当に昨年実施した熊本地震の緊急救援の経験を基にブログに書いてほしい、書くべきだと言われた。巷でも熊本地震関連のニュースが増えている。でも自分が現地にいたのは2016年5月上旬までのたった2週間。その2週間で感じたこと、その後、自分が取った行動を紹介することにしたい。
被災者としての目
シャプラニールは海外協力NGOだが、熊本地震の前にも国内にて東日本大震災の緊急救援・復興支援も行っている(東日本大震災の6年目の振り返りはこちら)。熊本地震の支援活動では最も急を要すると思われる数週間程度の計画で開始された。
現地入りした当日、私は、益城町の小学校の指定避難所の運営補助に入った。避難所に派遣された数名の町職員の避難所業務を補助することで、少しでも彼らが本来の役場業務に戻れるようにすることを目指していた。学校の授業再開に向けて校舎から体育館へ避難者が移動するための説明会準備など裏方作業を主に下駄箱裏で行い、支援者側として動いていた。だが、正直、支援活動を行いながらいつも感じていたのは「私は被災したら、こんな風に避難所で暮らすんだ」ということだった。
こんな風に教室の床の上に段ボールを引いて、布団を重ねるのか。
寝起きの顔をたくさんの人に見られるんだな。
家族単位で寝泊まりするってことは家族同士で仲が悪いと居心地悪いだろうな。
毎日似たような食事。飽きるな。
これまでも避難所の映像は見てきて知っているはずのことだった。小さなことかもしれない。でも、自分が当事者になったらと想像すると怖かった。
結局、人
避難所の運営のために一日に2回、学校の校長先生、町職員、応援に入った他の地方行政職員、私たちのような民間支援団体などで共有会議を行っていた。その中で頼りにしていたのが、区長(自治会長)さんである。避難されている方の生活状況、気持ち、要望をお聞きしたり、個人個人の方につないでもらったり。
避難者全員から回収したかったアンケートを配る時も、内容、配布・回収方法に相談に乗ってもらった。家の片づけに出る人が多く、避難所は日中ほとんど人がいなかった。また、農業に従事している人は、震度7の地震があっても作物は育つのを待ってくれないから日中は畑に出かけていく。仕事のために早朝に出て深夜に帰ってくる人もいた。そういった人の情報も区長さんは持っていて、代わりにアンケートの説明をタイミングよくしてくれていた。
日頃、そこにある人と人とのつながりをつたってしか、外部支援者は支援ができない。できない、は言い過ぎかもしれないが、少なくともその地域で信頼されている人を通じた支援は現地の状況にあったものになって信頼される可能性が高い。それは海外でも日本でも一緒だと思う。
この熊本での活動から東京に戻り、私が取った主な行動は次のとおり。
・自分の暮らす自治体の災害ボランティアセンターの運営訓練に一市民として参加
・自分の暮らす地域の自治会の話を親から意識して聞く
・家族全員の避難持ち出し袋の再確認
・シャプラニールの東京事務所内で避難経路を塞ぐモノを移動するよう注意喚起
・シャプラニールのスタッフ向けに避難所運営を一緒に行った益城町職員の方に依頼し勉強会を開催
緊急救援や復興支援に携わった経験を持つNGO職員だからこそ行ったこともあるけれど、「今、震度7の地震が来るかもしれない」という当事者意識で行ったことばかりだ。
ぜひ、みなさんも、明日やろうではなくて、今日やりましょう。
海外活動グループ(ネパール、防災担当)
勝井裕美
過去の活動内容
・緊急救援・復興支援活動を開始します(2016年4月23日)
・益城町での活動を報告します(2016年5月3日)
・物資配布活動で見えてきたこと(2016年5月10日)
・緊急救援・復興支援活動を開始します(2016年6月23日)