先日、”まちの小さな交流サロン「まざり~な」”を広めるための催しとして、”第二回まざり~なお茶会”を開きました。「まざり~な」のお店の一つ山田屋醸造とういお味噌屋さんのご紹介で、近隣のお寺を借りてのお茶会です。参加者は11名で、メンバーは相当地区からの避難者や地震や津波で被災した方、被災していないいわき市の方など様々でした。
そのお茶会で、これまでとは明らかに異なる新しいことが起きました。一人ずつ自己紹介を行ったときのことです。こちらからは、「お名前、住んでいる場所、好きな食べ物などをお願いします」と始めたのですが、最初の方が「海沿いの町から来たが津波の被災はなかった」と始まり、次の方が「私は○○町から避難してきました。趣味は…」と続きます。その後も「△△町からきました。」と相双地区の町名が数名の方から出ました。一見当たり前の自己紹介に見えますが、こといわき市ではとても異例の自己紹介です。相双地区から避難した方が、出身の町限定の集まり以外の場所で出身地を明言することは、いろいろな噂が一人歩きすることもあるいわき市では勇気がいることなのです。
そして最後は、毎週「ぶらっと」のクラブに来ているAさん(仮名)。「初めて話すんですが」との前置きで「○○町から避難してきています。地震のあったあの日は職場にいて…」と、当時のお話をされました。私はAさんに出会って1年経ちますが、当時の話を大勢の方がいる前で話すのを見るのは言葉通り初めてでした。Aさんはこの日、同じ参加者でご友人のBさん(仮名)と、開始時間より30分早く来てボランティアでテーブルを並べたり湯呑を用意したりと準備の手伝いもしてくださいました。Aさんは相双地区からの避難者、Bさんは元からのいわき市民。それでも3年半、毎週サークルで会ううちにとても仲良くなりました。そしてこの日、Bさんも初めて聞くであろう当時の話をしたAさんは、一つの壁を乗り越えたように見えました。
この日のお茶会は、和気あいあいとする反面、参加した方それぞれが肩の力を抜いて自分の出身地を臆することなく話し、自然な流れでこれまでのことを共有するという会になりました。こうしたことができるのも、お話をして下さった副住職さんの雰囲気づくりに加えて、4年が経過してようやくみなさんの心の整理がつき始めたのかな、と思いました。
↓参加者でお手伝いして下さっている様子
交流スペース「ぶらっと」でも、最近変化がありました。毎週サークルに参加されている相双地区からの避難生活が続くCさん(仮名)。サークル仲間のみなさんが、「最近Cさん変わったわよね。すごくしゃべるようになって、明るくなった。」とCさんがたまたまお休みの日に話題があがりました。そう、Cさん、最近パーマをかけ、カラーもして雰囲気も変わりましたし、何より友達に”つっこみ”をするようになったんです。これまで内気であまり自分から話すことはなかったのですが、最近は冗談に冗談で返したり、友達のボケにつっこみをするようになったのです!
2人になったときに聞いてみました。「Cさん、最近変わったってみなさんと話していたんですよ。とても明るくなりましたね。」すると「そう、震災以前はこういう性格だったの。ようやく最近変わってきた。納得できたわけではもちろんないけれど、納得しようと思えるようになったの。一歩踏み出さねば、と思えるようになって。ふるさとに帰れない辛さはあるけれど…。」とお話して下さいました。
こうした変化も4年が経ちようやく表れた変化だと思いました。週一回の集まりという小さな積み重ねが、およそ3年半続いた結果見えてきたもの。とても大切な変化だと思います。これからも1人でも多くの方がこのように歩んで行ってもらえたらと思いました。