2月後半から関東でも数回起きた震度2の地震に、普段以上に緊張するのはやはりこの時期だからなのでしょうか。

 テレビや新聞、ラジオでも多くの番組が2011年3月11日の様子を伝えるこの時期、私はいわきで活動していた時に出会った男性の言葉を毎年思い出します。いわき市沿岸部に暮らし、津波で自宅を失い借上げ住宅で暮らしているあるご家族を訪ねた時のことだったと記憶しています。
 「避難した経験や家族と離れて暮らすこと、仕事がなくなったことは忘れることできない。
 残りの人生つらい気持ちのまま生きていくのは苦しい。
 人間には“忘れる”という能力があるから、俺らはつらい経験はいつか忘れてもいいのかなと思っている。
 でも、今回の原発事故や震災の怖さを、被災地以外の人には忘れずにいてほしい。」
 男性の言葉はとても強い印象で心に残りました。
 以来、私自身忘れることと忘れないでいることの、それぞれの意味を考えるようになりました。

 震災のあった2011年3月以降、日本全体が電気の使用を控え、一人ひとりが生活することや消費することに向き合っていました。しかし、時間が経つにつれその経験やその時の思いを「忘れて」しまっているのではないかと、時々はっとすることがあります。
 津波で被災した男性が話してくれた通り、被災地以外に暮らす私たちにできることは、「忘れない」ということだと思います。自然の怖さ、原発事故、避難生活のつらさなど、私たちの記憶にしっかりととどめておくことで、日常の意識を変えることができるし、その結果社会を少し良い方向に変えることができるのではないでしょうか。

 2017年11月、いわきを訪ねるツアー「みんなでいわき」を開催しました。
 2011年から企画しているこのツアーに複数回参加くださっている方も、福島県に初めて来たという方も、ほとんどの方が印象に残ったとアンケートに記載があったのは、「いわきに暮らす人たちとの交流」でした。被災した場所、7年間の避難生活はそれぞれ違っていても、今現在の暮らしを良くしよう、と前向きな思いを語っていたいわきの人たちとの交流で、私たちが勇気付けられました。沿岸部訪問の際、「自分は津波に飲み込まれず助かった、だから自然災害の怖さや避難した経験を若い人たちに伝えていく責任がある」と震災当時の様子をお話しいただきました。自分の経験を語ることで、次の世代に繋げたいと前を向いていました。
 「被災地のために今何をしたらいいか分からない」と感じるときこそ、私たちが「忘れないでいる」ことを大切にしていきたいと思います。

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(「みんなでいわき」で訪れたいわきの農場)

佐藤緑(国内活動グループ)