5月9日から16日まで、バングラデシュに出張してきた。2年ぶりに、私たちが数年前から現地NGOフルキと取り組んでいる、ダッカで家事使用人として働く少女への支援活動も見学し、着実な変化を感じた。
支援活動はスラムの中で1つ、公団住宅の敷地内で1つ、合計2つセンターを開いて、少女たちが仕事の合間に通って簡単な読み書きを習ったり、遊んだりしている。最初、スラム内のセンターを訪問したが、以前、訪問した時は先生も子どもたちもまだまだ緊張した面持ちで、授業も、子どもとのやり取りも懸命に、でも手探りですすめているようだった。でも、今回は違った。何より先生の腰のすわり具合が違う。どーんとしているのだ。子どもたちも楽しそうに、何より安心してその時間を過ごしているように見えたのだ。
2年経つと変わるなあとその変化にほっとしながら、夕方には、公団住宅内で住み込みで働く少女向けのセンターでクラスの様子を見せてもらった。10代前半の少女が多い。みな、村から出てきて住み込みで一日家事をしたり、子どもの世話をしている。
この日は、ベンガル語の読み書きのクラス。センターに通って2年目になる、ある少女は、この日学ぶベンガル文字が入った単語を使った文章を書き上げ、先生に渡してた。私には、そのすごさが分からないのが残念なのだが、どうやらその文字で韻を踏みながら、ちゃんと意味の通る文章を作成したらしく、先生が楽しそうに読み上げ、彼女もはにかみながらもほめられて嬉しそうだった。
そして、この日のクラスが一通り終了し、先生が少女たちに最近の出来事などを聞いて、半分おしゃべりの時間になった17時、その少女がおもむろに立ち上がった。家に帰る、そのために。
私は自分の子ども時代を思い出した。17時。近所中に夕暮れにぴったりの音楽が流れて、しょうがないねという感じで遊びを切り上げ、公園や野原で友達とバイバイをした。名残惜しかったけど、そんなにさびしくはなかった。家に帰れば、お母さんも弟もいて、あたたかな夕飯もあるのがわかっていたから。
でも、その少女の帰る家は、働く家。だけど、彼女の横顔はいたって普通だ。ただ帰る、だって、そこが帰る場所だから、その時間がきただけよ、というように。
私がやれることは何だろう?NGOスタッフとして、一人のひととして。
その場で私が彼女とできたことと言えば、彼女の求めてきた「さよなら」の握手に、涙だけは見せずに笑顔で答えることだけだったから。(勝井)