私にとってバングラデシュは、第二の故郷である。
正確に言えば、ベンガル湾に浮かぶ島、ハティア島が、私にとって日本以外で最も長く滞在した特別な場所である。
ダッカから船で16時間。これまでに何十往復としてきた。ハティア島行きの大型船は、夕方6時にダッカの港ショドルガットを出発し、海に向かって下る。
渋滞で乗り遅れないよう余裕をもって出るため、だいたい5時には港について、船の中をぶらぶらしている。
船中では、果物やお菓子、軽食、土産物などを扱う物売りがひっきりなしにやってくる。
その中で小腹が空いたときに決まって手がのびてしまうのが、ゆで卵だ。このゆで卵、なぜだか大変おいしい。
船で買い食いするなと、ベンガル人の友人には説教されるが、これだけはどうしてもやめられない。
しかし、自分の学生には、船で買い食いするなと口を酸っぱくしていう。
そうこうしているうちに、日が落ち始め、出発の時刻となる。夕暮れ時、夕日に照らされて、あたりは一面真っ赤になる。
そして、赤色に染まった大河には、何百もの渡し舟が、まるで木の葉のように浮かんでいる。
この光景が、ダッカで一番好きだ。
船は南へ、南へと舵を取る。船先のスペースに陣取って、岸辺や他船を眺めていると、かならず誰かが手を振ってくる。
自分にむけられたものなのか定かではないが、とりあえず振り返しておく。
勘違いだとしても、その何倍も返してくれるのがバングラデシュだ。
それにも飽きると、船上のベンチにすわってチャイを飲む。そして、ベンガル人の乗客に囲まれる。
どこからきた? 結婚しているのか? 兄弟はいるのか? 何の仕事をしているんだ?
いつもの質問攻めが始まる。
あまりにも毎回同じ質問をされるので、答えをシャツに書いておこうかと思ったこともあるが、彼らは世間話そのものを楽しみたいのだから、そのようなことをしても話のネタを提供するだけである。
さすがに会話に疲れると、個室に逃げ込む。
しかし、1畳ほどのベッドがあるだけの小部屋は、夏場はうだるように暑い。当然エアコンなどなく、扇風機も熱風を送るだけの代物であるから、結局また外にでることになる。
そしてまた囲まれる。
これらを3回ほど繰り返すとだいぶ涼しくなり、なんとか室内で寝られるようになる。
明け方、何度か船が大きく揺れる。
いくつかの港に立ち寄っているのだが、粘土質の岸壁に船先を突っ込むので、結構な衝撃がきて目が覚める。仕方がないので、起きて荷運びする人びとを眺める。港の食堂からは食欲をそそられる豆スープのにおいが漂ってくる。たまらず下船して、朝食をとる。
しかし、自分の学生には、乗り遅れては大変なので途中の港で降りてはいけないと、口を酸っぱくしていう。
そして、朝の10時、ハティア島に到着する。港は人でごった返しているが、誰かしらの友人が迎えにきてくれる。
仕事をサボって顔を見に来たといったほうが正しいかもしれない。
ベビータクシーで目的地に向かうことを勧められるが、丁重に断ってリキシャ引きと値段交渉をする。
交渉が成立すると、一段高いところに設置されたリキシャの椅子に飛び乗り、落ちないように両足を踏ん張る。
まわりには、見渡す限りの緑の田んぼが広がる。
途中通り過ぎる村々では、鶏が走り回り、山羊が放し飼いになっている。
小さな子どもたちが、通り過ぎるたびに手を振ってくれる。
あたりには、リキシャ引きがベダルをこぐ音しかない。ダッカでは絶対感じることのできない、さわやかな風が吹き抜ける。
あまりの心地よさにうつらうつらしていると、段差の衝撃で落ちそうになり、リキシャ引きに笑われる。
そして、ここでも世間話がはじまる。他愛のない話を、半分しか働いていない頭で。
景気はどう?
日本に連れて行ってくれないか?
魚の値段高くない?
今年のマンゴーは豊作?
最近うまい茶屋はどこ?
子どもは何歳?家族は元気か?・・・・・
ここが、バングラデシュで一番好きな場所、ハティア島である。
<プロフィール>
日下部尚徳(くさかべ・なおのり)
東京外国語大学教員。シャプラニール主催の第1回ユースフォーラムに参加したのがきっかけでバングラデシュに関心を持つ。以降、18年にわり中・高・大学生を対象とした開発教育・異文化理解教育イベントの運営に携わる。バングラデシュへ貧困や災害に関する調査のため年に数回訪れている。
<シャプラニールとの関わり> 2012年より理事
この記事の情報は2016年9月3日時点です。