すごいところに来ちゃったな。
空港から出た瞬間、思わずこぼれた言葉。
湿気を帯びた熱気と、暗闇に動く無数の視線から逃げるように、急いで車に乗り込む。窓ガラスのないボロボロのバス、道路に溢れるリキシャ、鳴り響くクラクション、あるはずの車線は誰も気にしていない。物乞いをする人や路上の子どもたちは、当たり前のように雑踏に溶けこんでいる。
大学のボランティア活動でバングラデシュにやって来た私は、飛び込んでくるものすべてに圧倒され、既に来たことを後悔していました。
ところが翌日、身構えた私を待っていたのは、好奇心旺盛なバングラデシュの人々。「ハロー!」「どこから来たの?」「名前は?」、気が付けば人だかりの中心になっていて、一緒に写真撮ろう!ご飯食べにきて!と、一躍有名人。ちょっとだけとお邪魔すれば、家族やご近所さんまで集まって、食べ切れない程のおもてなしが続きます。
日本の印象を聞けば、「日本も日本人も素晴らしい」、「ボンドゥ!(ベンガル語で友達の意味)」など、決まって嬉しい言葉が返ってきました。ナガサキ・ヒロシマを乗り越えてアジア一の先進国になったこと、バングラデシュにたくさんの援助をしていること、独立時に真っ先に国家承認をしたこと。他にも、街を走る多くの車が日本車だったり、国旗が似ていたり、彼らにとって日本は、同じアジアの身近な憧れの国であり、”友達”だったのです。
一方、渡航前の私は、バングラデシュにネガティブな印象しかなく、“遠い貧しい国”程度にしか思っていませんでした。確かに根深い貧しさはあるけど、貧しいだけじゃない。緑豊かで人が温かく、カレーや果物の美味しい”友達の国”だったのでした。2週間の滞在から帰国してからも、バングラデシュで過ごした日が懐かしく、休みの度に足を運び、大学卒業後はバングラデシュに関わる仕事を選びました。
バングラデシュの何が好きなの?と、よく聞かれます。全く進まない渋滞、毎日の停電。砂埃が舞うゴミだらけの道。「元気?」、「なにしてるの?」、「どこにいるの?」、「ご飯たべた?」、時間を問わずかかってくる用件のない電話や、ウイルスかと思うほどの大量のメッセージ。心に余裕がない時は、彼らの純粋さや底なしの好奇心にとても疲れる。日々のトラブルやストレスは数え切れない。嫌なところだってたくさんある。
それなのに、バングラデシュが恋しくなる。彼らの距離の近さは家族のようで、いつも気にかけてくれる人がいる、心強い仲間がたくさんいる、そんな気持ちにさせるのです。だから、何回も行きたくなる。会いたくなる。元気?何してるの?ご飯食べにきなさい。と言われたくなる。
何度バングラを訪ねても、鬱陶しいほどの人の温かさは変わらない。
それが私の好きなバングラデシュ。昔も今もこれからも。
この記事は2016年8月6日時点です。
<プロフィール>
髙橋瑞季(たかはし・みずき)
東京都出身、茨城県、奈良育ち。猫好き。
2008年バングラデシュを初訪問、2013年よりダッカの日系企業にて勤務。
現在、ダッカ在住4年目。
<シャプラニールとの関わり>
2009年~2011年 ステナイ生活アルバイトスタッフ。
シャプラニール会員。