理事・評議員からのメッセージ
シャプラニールの運営にかかわる理事・評議員から、ご自身の活動や専門性の高いトピックに焦点をあててレポートいただきます。タイムリーな話題、広い視野から多角的な海外協力の今をお伝えします。
ゆるやかに続くバングラデシュとの縁
シャプラニール評議員/大学職員 吉川みのり
PROFILE
よしかわ・みのり
大学時代にバングラデシュの地域研究を専攻していたことから、大学3年次に半年間シャプラニールのインターン生として過ごす。現在は大学の職員として、国際協力に関心のある学生たちのサポートを行う。2020年よりシャプラニール評議員。
会員の皆さん、こんにちは。評議員の吉川みのりと申します。会報になにか書いてほしいと言われ、わたしに何か書けるかしらと思いつつ、少しシャプラニールやバングラデシュと私のかかわりを書かせていただこうと思います。こんな人もいるのだなと、思っていただけると嬉しいです。
シャプラニールでのインターン
まず、シャプラニールとの出会いは大学生の時です。わたしは大学でバングラデシュの地域研究をしていました。高校生の頃から国際協力に関心があり、国際協力を特定の地域から学びたいと思い、大学を選びました。バングラデシュを地域に選んだのは本当に偶然ですが、いい選択だったと思います。そんなわたしにとって、シャプラニールに出会うのはすごく自然なことでした。
最初は講演会に参加するだけだったのですが、大学3年生の時にインターンに応募しました。当時の海外活動グループ(現事業推進グループ)で半年間インターン生として過ごしました。この時は、シャプラニールが家事使用人として働く少女支援のためのクラウドファンディングをしていた時期です。バングラデシュのことを多くの人に知ってもらうために、記事を書くのがわたしの役割でした。この頃はバングラデシュへの渡航が制限されており、予定していた留学も中止になっていました。バングラデシュの地域研究をしているのに、渡航できないもどかしさを、記事の執筆という形で昇華させていました。
インターンをする中で、家事使用人の女の子たちについて学ぶ機会がたくさんありました。もともと子どもや教育の分野に強い関心があったので、家事使用人の女の子たちの状況をもっと知りたいと思うようになりました。半年間のインターン生活を終えたあとも、家事使用人について調べるようになり、最終的に卒業論文と修士論文で、家事使用人について書きました。今思うと、シャプラニールに出会っていなければ、修士号を取ることもなかったのでしょうね。
(*1) 市民の足として親しまれている三輪の自転車タクシーのこと。日本の人力車が名前の由来とされている。
いまの仕事とバングラデシュ
ここからは、今の話になります。修士を卒業後、私は民間企業に就職をしました。私よりも、両親を含めた周りの人たちが、大学6年間と一切関係のない就職先でいいのかと心配していましたが、就職しないと生きていけません。しかし、周りの心配は当たるもので、1年待たずに転職をして、今の仕事に就きました。大学時代のご縁もあり、今は都内の大学で職員をしています。仕事の一環で、フィールドスタディ(*2)のサポートと引率をしており、行き先の一つにバングラデシュがあります。社会人になっても大学時代に身につけた知識や言語が役に立つというのは大変嬉しいことです。
また、国際協力に関心のある大学生たちとかかわることは、わたしにとって何よりも楽しい時間です。バングラデシュについて何も知らなかった学生たちが、現地での経験を通して、多くを吸収し、バングラデシュにまた行きたいと言っているのを聞くと、この仕事をしていてよかったと感じます。また、わたしの大学時代よりも国際協力に関心のある学生が増えたように思います。
(*2) 現地実習とも呼ばれ、海外などの現地に赴き、調査・研究をすること。大学では授業の一環として行われる事が多い。
これからの50年に向けて
さて、ここまで長い自分語りをしてしまいました。ここまで読んで頂いている皆さん、ありがとうございます。会員の方の中には、私が生まれる前からシャプラニールとかかわりがあるという方もきっといらっしゃるでしょう。それぐらい、長い歴史と多くの方に愛されているシャプラニールで、評議員ができることを嬉しく思います。50年以上もの長きにわたり、バングラデシュとネパールにかかわり続けたシャプラニールが、次の50年をどう生き抜くのか、皆さんと一緒に見届けていきたいと思います。シャプラニールとして変わらない部分、時代とともに変わらなければいけない部分があると思います。シャプラニールらしさを残したまま、次の50年に向けて、新しいシャプラニールになることを私は期待しています。
国際協力に関心のある学生が増えたと書きましたが、多くの人にとっての「海外」はまだまだ欧米が中心だと感じます。そのような社会の中では、大学で学んだことを、その後に活かせない、というかつての私のような思いを抱えている方も多いのではないでしょうか。現在、大学で働いていて、国際協力を仕事にするというイメージがついていない学生をよく見かけます。わたしもそうでした。若い世代も巻き込みながら、世代を超えて知恵を出し合い、次の50年、そしてもっと先に向けて、前に進む団体であり続けてほしいと思います。ここまで読んでいただきありがとうございました。
会報「南の風」304号掲載(2024年6月発行)