家事使用人の少女支援のはじまり-あの頃、私たちは何を想い、考えたのか
シャプラニールの児童労働の問題への取り組みは、2000年、バングラデシュのストリートチルドレンの支援から始まりました。そして、2006年からは「家事使用人として働く少女支援」へ。
『シャプラニール児童労働反対キャンペーン2021』では、児童労働の実態を伝えるとともに、シャプラニールの児童労働への取り組みについてお伝えしています。今回は、「バングラデシュの家事使用人として働く少女支援」の事業立ち上げから事業の初期を支えた3名の元職員に、そのとき感じた児童労働の問題に対する想いや、家事使用人として働く少女たちへの想いをうかがいました。
あのとき、何を想い、何を考えたのか、紐解きます。
白幡利雄(しらはた・としお)
1993年~2014年までシャプラニール事務局でスタッフとして勤務。その間、バングラデシュとネパールに3回、合計8年半駐在(ダッカ駐在員・事務所長、カトマンズ事務所長)した他、クラフトリンク・国内・広報・海外活動担当などを歴任。現在はシャプラニール評議員、NPO法人AMDA社会開発機構スタッフ。
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STORY#01 日常にある家事使用人の実態
私が目の当たりにした、家事使用人の隠れた労働環境
バングラデシュで初めての駐在をしたときのことをご紹介します。この体験が、バングラデシュにおける家事使用人の存在を、私自身が課題として認識するきっかけになりました。
当時、部屋を間借りして生活していた3階建ての個人住宅の大家さんのところには、10代の女性が一人、住み込みの使用人として働いていました。初めての駐在で、まだ何も見えていなかった私の目には、彼女はまるで大家さんの家族の一員かのように扱われているように映り、当初は特に問題は感じませんでした。
ところがある時、雑談をする中で、彼女はキッチンの冷たいタイル張りの床に布団も敷かずに寝ているということを知り、衝撃を受けました。大家さんの家族には寝室があり、ちゃんとしたベッドで寝ているのに、使用人である彼女は全く別の扱いをされていたわけです。そこに存在する大きな溝は、どうしたら埋めることができるのだろうかという問題意識が、私の中に芽生えた瞬間でもありました。
活動に寄せる想い
当時、ストリートチルドレン支援の一環として運営していた青空教室やドロップインセンター*では、男の子に比べ、女の子の数がずっと少ないことが気になっていました。そして、新たに家事使用人という課題に取り組むことで、社会から隠され、光があてられてこなかった女の子へのアプローチができるようになる、と考えました。
正式な活動としてスタートするのはまだ先のことでしたが、こうして気がかりだった社会問題を、次期駐在員が具体的なプロジェクトの形にしてくれたことを、職員としても個人としても、とても嬉しく感じたことを今でもよく覚えています。
*ドロップインセンター:子どもたちが、安心してごはんを食べたり、寝泊りしたり、一緒に遊んだりすることができる施設。シャプラニールは現地NGO「オポロジョ・バングラデシュ」とともに24時間体制で運営していた。
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【STORY #01】日常にある家事使用人の実態
【STORY #02】「女の子たちはどこ?」隠れた児童労働
【STORY #03】子どもたちの生きる力