この人に聞きたい
シャプラニールの活動に様々な形で関わるつながりのある方、
国際協力、社会貢献などの分野で活躍されている方に、その思いを伺っています。
『自分』を主語にして、核兵器と人間について考える
2022年2月末、ウクライナへのロシアの軍事侵攻によって、核の脅威を再確認した方も多いのではないでしょうか。今回お話を伺ったのは、大学生が中心となり核兵器廃絶に向けた活動を行う「KNOW NUKES TOKYO(ノーニュークストーキョー)」のメンバーであり、シャプラニールのユース・チームでも活躍されていた徳田悠希さん。若者として、そして被爆地ではない地域から核兵器廃絶を訴える意義、思いについて伺いました。
インタビュー/広報グループ長瀬 桃子
インプット中心だった高校時代から、自分が行動する側へ
平和や人権に興味がありましたが、現場でどういう人が働いているのか知る機会や、自分の意見を語る場がありませんでした。それでも何かしたいと思っていた高校1年生の時、学校の先生に紹介され、シャプラニールのユース・チーム主催の国際協力について議論するワークショップに参加しました。学校での勉強はインプット中心だったため、同世代と気兼ねなく議論できることは、参加者としても、そして運営メンバーになった後も新鮮で魅力的でした。
核問題との最初の接点は、広島への修学旅行
中学3年生のとき、初めて被爆者と呼ばれる人々と出会い、お話を聞いた経験がすごく大きかったです。当時の記憶を思い出して、うなされる方もいるらしいんですが、そんな深い傷を見せてでも自身の体験を語ってくださる、その理由や強さの原点は何か、当時からずっと気になっていました。最近になってそこには『もう誰にも同じ思いをさせたくない』という人類の幸せを願う大きなモチベーションがあるということに気づきました。そんな方々の思いを知 ながら、何もせず、見過ごすことはできない、と感じていましたが、東京に帰ると、行動できる場所がなかったため、勉強会などに参加しながら関心を維持していました。そして、大学に入学した年に、核問題に取り組む人が主催するイベントがあり、それを通じて出会ったのが「KNOW NUKES TOKYO」でした。
KNOW NUKES TOKYOの活動
KNOW NUKES TOKYO(以下、KNT)は被爆地の外で核兵器のことを考え、その思いを行動に移す、大学生の団体です。主に、被爆者の声を届ける「(オンライン)証言会」や日本の核政策を決める国会議員に直接会って対話する「議員面会」などを行っています。また若い世代の核兵器への考えをアンケートで調査し、「提言書」にまとめ政府に提出したこともあります。
2021年の末、戦中の日本の原爆開発を題材にした映画の上映会を学内開催した際、核兵器廃絶にずっと関心をもっていた、と声をかけてくれた同い年の子がいました。身近に共通の問題に興味がある人が集う場所をつくれるのは学生だからこそかな、と思います。一方で、議員面会では『学生だから』と軽く見られてしまうこともあります。
核兵器廃絶の活動は、これまで被爆地出身者が中心でした。その中に、私のような被爆地にルーツがない人が加わることで、核兵器は被爆地の問題ではなく、全ての人が直面し、向き合わなければいけないものだということが明確になる。そこに重要な意味があると思います。私はKNTという『場』に出会えたことで動き出すことができました。問題意識を形にする『場』は大切ですね。
被爆地ばかりに声をあげさせない
先日、私が中学生の時にお話を伺った被爆者の方と連絡がとれたのですが、「自分の話を聞いて核兵器は危険だと言ってくれる人はいたけれど、実際に行動に移す人が出てくるとは思わなかった」とおっしゃっていました。自分の言葉がどこまで届いているのかわからない中、辛い経験を話すのはどれだけ大変なんだろうと、改めて感じます。現在、約12万7千人(※1)の被爆者の方がご存命ですが、COVID–19感染拡大で生き甲斐だった『語り部』ができず、意気消沈しているといった声も聞きます。そんな状況の中、被爆地以外でも声をあげることが、被爆者の方々の力にもなればと思います。
※ 1 被爆者健康手帳を持つ全国の被爆者数(出典:厚生労働省 令和2年度被爆者数の推移)
社会問題をつなげ、関心の輪を広げる
核問題は、フェアトレードのように商品購入などの身近なところから活動に参加する選択肢が少なく、自身の思いや考えを行動で示すことが難しいと感じます。そのため、別のものとして捉えられるさまざまな社会問題同士をつなげて考えられるよう、他団体と連携した活動も行っています。例えば、気候変動に関わる団体と核兵器による地球環境への影響を話し合ったり、同性婚の実現を目指す団体へ全国会議員の核兵器に対する意見などを可視化する「議員ウォッチ」というオンラインサイトのI Tの技術協力をしたり、異なる社会問題に興味がある方々を巻き込んで、核への関心の輪を広げています。また、声を上げ続けるためには、活動する私たち自身が持続可能でなければなりません。そのためK N Tは、メンバーが大学を卒業した後も平和をつくることを生業として核廃絶に向けた活動を継続することを目指しています。
誰もが 「被害者」にも「加害者」にもなりうる
1945年に原爆が落とされた広島では、熱線や爆風、放射線により、その年の暮れまでに亡くなった方の数は約14万人といわれています。そして、核兵器が使用されたとき被害を受けるのは被爆地にいる人々だけにとどまりません。核は国境を超え、世界全体に影響を与えます。もし核戦争ともなれば、爆発による粉塵が大気圏を覆い、平均気温が4°C程度下がる『核の冬』が訪れるという研究結果もあります。また核開発の現場では、地元住民が犠牲になります。アメリカが核実験を行なったマーシャル諸島などでは、放射能汚染により島に帰れなくなったり、奇形児が生まれたりしています。
2021年1月、核兵器禁止条約の発効により、使用や保有、威嚇などあらゆる行為が国際法で禁止されました。これまで地雷など多くの兵器は、同様に禁止するルールができ、社会からの反発の高まり、銀行の投融資停止などを経て、使えない兵器となっていきました。
しかし日本は唯一の戦争被爆国でありながら、核禁条約に署名も批准もしていません。現状、核兵器を抑止力として認めているのと同じです。これを黙認し続けることは、間接的に核に関わる問題の加害者になっているということではないでしょうか。時間はかかりますが、核兵器に依存しない安全保障を模索すべきだと思います。
「誰も取り残さない」ために「被害者」の視点で考える
シャプラニールは以前から「誰も取り残さない」というキーワードを大切にされてきたと思いますが、核によってさらなる「取り残される人々」を生み出さないようにしなければなりません。広島、長崎、世界の核被害者が声をあげ発効に至った核禁条約により、長い間『使う側』の視点で議論されてきた核兵器の問題が、使われたらどうなるのか、という『被害者(使われた側)』の視点で捉え直されました。その結果、やっと誰も取り残さないための核の議論が始まりました。
それでも日本では核兵器が史実にとどまっていると感じます。今、世界には約1万3千発もの核兵器があり、私たちはそんな世界に生きる当事者だと、多くの人に意識してほしいです。
ウクライナへの軍事侵攻後、ロシアは核兵器による脅しを行っています。日本でも一部の国会議員が日本の「核共有」や「非核三原則」の見直しを議論する旨の発言をしましたが、不安の中で強い力を求めるのではなく『そもそものリスク(=核兵器)をなくす』ことを目指すことがより持続可能な社会につながる選択だと思います。安全保障という大きな主語ではなく、『自分』を主語にして、一緒に核兵器と人間について考えるべきではないでしょうか。
PROFILE
徳田 悠希(とくだ・ゆうき)東京都出身の上智大学3年。中高時代に修学旅行で訪れた広島と長崎で被爆者と出会い、核兵器問題に関心を持つ。大学進学後、核兵器廃絶に向けた活動に取り組み、現 在「KNOW NUKES TOKYO」メンバー 。国会議員に面会し、核兵器禁止条約について問う面会活動や、被爆者と若者の二人三脚をテーマにした東京発のオンライン被爆証言会の実施など、精力的に活動している。