「震災はカーストの壁を乗り越えることができなかった。」
2015年6月、現地でダリット(被差別カースト)の解放運動にかかわっている活動家が来日して、地震の被災状況を報告してもらった時に聞いた言葉である。震災後、避難生活を送る住民たちが助け合って生活している様子がウェブ上でよく報告されていた。同じカーストや民族が集住する地域では、そのような助け合いは日常的にも行われていたのだろう。しかし、ダリットに対する差別的な言動が、救援活動の影で行われていたことは、あまり知られていない。救援活動から「こぼれ落ちている人」に関心を寄せる人が少なかったというのが現実なのだと思う。
ダリットとは、現在人口の2割程度を占める、カーストの最底辺に位置付けられた人々の総称である。為政者によって抑圧され、差別される中でつくられた階層という被差別の歴史を抱えている点で、日本の被差別部落にも共通している側面が多い。ネパールでも、日本でも、すべて人は法の下では平等とされているが、問題は依然解決していない。共に深刻な人権課題なのに、とても「見えづらい」。
ネパール人に「カースト差別はあるか」と聞くと「もうない」と答える人は多いだろう。しかし、当事者からは「カトマンズで部屋を探すとき、苗字を見てダリットだとわかると断られた」、「ダリットではない相手と結婚しようとしたが、相手の家族から猛反対されて、結婚を諦めた/結婚したけどうまくいかず離婚した」、ある教員は「自分がダリット出身だとわかると、『先生』と呼ばなくなった生徒がいる」、というリアルな話を、首都のカトマンズでもよく聞いたものだ。
地方にいくと、上記のような差別はもちろん、日常的に使う井戸そのものがダリットと非ダリットで分けられていたり、身体的な接触や同じ場所で食事をすることが(穢れがうつるという理由で)嫌われていたりする。少しずつこのような直接的な差別は少なくなってきているものの、今でも続いている。カースト間の経済・教育格差も統計上明らかだ。希望は、当事者運動がこの30年ほどで少しずつ力を持って、社会を動かそうとしているということだ。しかし震災は未だ壁の高い現状をあぶりだした様な感じがした。
「明るいところから暗いところは見えんけど、暗いところから明るいところはよう見えるんや」
「足を踏み続けている人は、踏まれている人の痛みはわからん」
私が敬愛していた被差別部落の活動家の方が、よく言っていた言葉である。明るい側にいる私たちマジョリティ(力を持っている多数派)は、被差別者と全く同じ経験はできない。しかし、暗いところをうみだしているのは自分たちだという立場を自覚すること、そして被差別者の痛みを想像し、耳を傾け、マジョリティも社会に働きかけることで、壁は乗り越えられると信じている。
私は2000年にネパールのダリット解放運動に出会い、そこから部落問題を学び直し、このことに身をもって気づかされた。私がネパールと日本で得た財産は、差別と闘う人々や、「仲間」と呼べる人たちからの学びと、つながりである。その学びとつながりを大切にしながら、これからもネパールと関わっていきたい。
<プロフィール> 山本 愛(やまもと・あい)
1973年兵庫県伊丹市生まれ。公益財団法人とよなか国際交流協会総括主任。大学卒業後、商社に勤務していた時、旅行で訪れたカンボジア、ネパールで南北問題やNGOに関心を持つようになる。退職してネパールでのボランティア活動&留学後に、大阪の国際協力NGOに就職。ネパールのダリット(被差別カースト)との連帯交流に携わった後、在ネパール日本国大使館勤務を経て現職。伊丹市で「反差別草の根交流の会(サマンタ)」の運営にも関わる。共著に「国際人権ブックレット (10) 地球規模で捉えるカースト差別・部落差別の今」(ヒューライツ大阪編、2004年、解放出版社)。