大学生の先輩から北海道には番地がない、と聞いて衝撃を受けたことがある。北海道と言っても札幌や函館のことではなく、隣の家まで数キロあるという田舎のことだったが、○○町××様で郵便が届くということにある意味感動した。
それから15年、何の縁かネパールに赴任して自分がそんな土地で生活することになった。新しく開発された地域は別として通りの名前や番地がないことが普通であるネパールは、来たばかりの外国人にはハードルが高い。電話で住所を尋ねると「△△バス停を越えてすぐを左に曲がり、しばらく行くと電話局があるのでそこを右に曲がって2ブロックくらい行くと・・・」と、ネパール語の聞き取り試験さならが(しかも上級編)なのである。聞き間違えでたどり着けなかったら組織の信用に関わるため、むしろスコアを見て一喜一憂できる試験よりハードルが高いのである。
こんな風にカトマンズやパタンの町は区画整理されていないところがほとんどで、曲がりくねった道が自分勝手に伸びているのため、休みの日には目的地を決めずに散歩するのが楽しみだった。そういう時に見かけるものは、なぜかどれもドラマチックでもあった。
道の真ん中に突然現われた小さな祠で、母親の姿を真似て祈りを捧げる幼い女の子。赴任してわずか数ヶ月の時に遭遇したシーンだが、この一瞬でネパールという国にハートを射抜かれたと言っても過言ではない。
尋常じゃない人混みに誘われていくと、生き神クマリ(パタン)が人々に祝福を与えているところに出くわした。参拝客の浮足立った様子とは対照的なクマリの退屈そうな表情から滲み出る「人間くささ」がたまらなく愛おしかった。
自分の食料を背負って動物園に戻る途中のゾウや、いずれ食べられてしまう運命の鴨たち、騎馬警察と思しき人たちの移動を見かけることもあった。朝早く出かける方が動物たちを見かけ易かったように記憶している。
冬の風物詩とも言える日向ぼっこ。これにはいくつかのパターンがある。単に日向に座って温まるだけでなく、太陽の力を借りて赤ん坊のオイルマッサージや子どもの湯あみをすませてしまうというのも、ネパールらしくて好きな風景だった。
ほぼすべてのものに名前や番号がつけられていることが普通の国から来た人間にとって、住所や番地がないことに象徴されるようにネパールは掴みどころがない。仕事をしているときはその捉えどころのなさに腹を立てたり、嫌いになりそうになったりもしたが、悠久の昔からネパールはずっとそういう存在であり、これからも本質的な部分では変ることはないだろうということが良く理解できる。自分という存在の小ささや、それでも仕事としてこの国に関わる意義など、ネパールでの経験は私にとって多くのことを教えてくれた。
カトマンズの名もなき道が谷を越え、山奥の村につながっていること。その先にささやかだけれどとても幸せな人々の営みがあることを忘れずにいたいと思う。
<プロフィール>藤﨑文子(ふじさき・ゆきこ)
海外活動グループチーフ
1997年シャプラニールに入職。クラフトリンク部門勤務を経て、2001年から2003年までバングラデシュ駐在。2006年からカトマンズ事務所長として4年勤務。ネパール東部出身と間違われ、パスポートを見せても日本人と信じてもらえないということを何度も経験したため、帰国してしばらくたった今でもネパール入国の際にはちょっとドキドキしてしまう。
この記事の情報は2016年12月30日時点です。