3月9日と10日の2日間、震災直後から毎年実施しているツアー「みんなでいわき!」の引率で、いわきを訪れました。1日目は、いわきの復興のシンボルにもなっている「いわきオリーブプロジェクト」のオリーブ農園で農作業のお手伝い。2日目は昨年から帰還が始まっている富岡町を訪問しました。

オリーブの栽培に奮闘しオリーブプロジェクトを牽引してきた木田さんは、「災害はつらいものだが、悪いことばかりじゃない。数えきれないほどたくさんの人たちが支援に駆けつけてくれ、多くのつながりができた。今日こうしてみなさんが来てくれたように。これって素晴らしいことです」と参加者に語りかけました。

オリーブ農園で作業を手伝うツアー参加者

▲木田さんのオリーブ農園で作業を手伝うツアー参加者

富岡町からいわきに避難した田中さんは、直後から「富岡すみれ会」を立ち上げ、同じくいわきに避難した町民同士のつながりを作ってきました。帰還が進む富岡町へ毎日のように通い、食堂を運営していますが、それ以外にも様々な活動を行い、精力的にあちこち飛び回っています。「大変だと思うこともあるけど、下ばっかり見ててもしょうがない。前を向かないと」という言葉に、私たちが勇気づけられるようでした。

富岡町の夜ノ森の桜並木で震災直後の様子を説明する田中さん

▲富岡町・夜ノ森でツアー参加者に震災前の様子を説明する田中さん

日曜日の3月10日には、いわき市北部の久之浜、南部の勿来(なこそ)など各地で追悼イベントが開催されました。

岩間海岸に設置されたモニュメント「きみと」。3月10日、ライトアップされた 勿来の岩間防災緑地に昨年設置されたモニュメント「きみと」のライトアップ準備

3月11日、強風と雨の久之浜のようす。高い堤防の上から。

▲3月11日の久之浜のようす。高い堤防が完成し、街からは海が見えません。強い雨と風で海が荒れていました。

そして3月11日、いわき市主催の「東日本大震災追悼式」が行われ、地震が発生した14時46分の時報と共に1分間の黙とうを捧げました。市長のあいさつに続き、遺族代表のあいさつがありました。父親が津波に流され、2日目にようやくみつかったという根本さん。「毎日の普通の暮らしがどれだけ大切なのかを知った。自分には、震災の記憶を風化させることなく次の世代へ伝えていく責任がある」と静かに語りかけました。

いわきアリオスで開催された追悼式典

▲いわきアリオスの追悼式典会場

今回、いわきに着いてから、かつてシャプラニールがいわきで活動している間様々な形でお世話になった、浪江町から避難していたSさんに「いわきに来てるんだけど、元気かい?」と久しぶりに電話してみました。「いや~、久しぶり~」とひととおりあいさつを交わした後「実は今いわきにはいないんだ。娘と一緒に埼玉で暮らしてるの」とSさん。「そうかい、娘さんと一緒に暮らしてるんだったら幸せだね」と私が言うと、一瞬考えたあとで「うーん、幸せかときかれると、そうとは言いきれないんだわ。やっぱり、浪江やいわきとつながっていたい、と思うんだよね。こっちにいると、へこむ、まではいかないんだけど、なんか違う、と思っちゃうんだよ」と言葉を選びながら話します。「最近、浪江にお墓を建てたんだよね。住んでもいないのになんで、と言われることもあるんだけど・・・。なにやってんだかね。」「家族の間ではそんな話しないし、小松さんだから言えるんだけど、やっぱり帰りたいっていう思いはあるのよ。」

きっと、家族の中でもそれぞれにいろんな思いがあり、一人ひとりの心の中にもまた、様々な想いが交錯しているのだと思います。「もう8年」という人もいれば「まだ8年しか経っていないのか」という人もいます。一人ひとりの中にそれぞれの8年が流れていました。

アリオスの前庭ではボランティアがキャンドルナイトの準備をしていた▲いわきアリオスの前庭では、キャンドルナイトの準備が進められていた