3月22日(火)
朝8:40にウィラブ北茨城を出発。前日に東京から到着した救援物資の第2便とともに、福島県いわき市へ向かいました。
前回のレポートでもお伝えしたとおり、北茨城市での2日間の活動で、
- 政府および地元NPOにより最低限必要な物資の供給は出来ている。
- 避難所の数および避難者の数が日に日に減っており、自宅へ戻ることが出来るようになっている。
- 電気やガス、水道などのライフラインもほぼ復旧してきている(一部水道が未復旧の地域もある)
- 商業施設が一部開店、宅急便の配送が再開されるなど、生活上必要なサービスが徐々に復活しつつある。
といった状況が見えてきました。
一方、被災者の数が多く、原子力発電所に近いため必要な支援がなかなか届いていないと言われているいわき市の方がより緊急救援の必要性が高いのではないかと考え、いわきへ活動の軸足を移すことを念頭に置いての行動でした。
※北茨城においても、水道や下水が未復旧の地域があること、燃料の確保が難しいことから移動の制約が大きいことなど、まだまだ解決されなければならない課題が多く、支援活動が今後も必要であることは間違いありません。
朝にいわき市のNPO「うつくしまNPOネットワーク」が陣頭指揮をとる、緊急支援物資の集積・配給拠点に到着。東京から運んだ、水、医薬品、カップラーメ
ン、ウーロン茶、カセットコンロなどの物資を降ろした後、各地から続々と届く支援物資の運び入れや、公民館など物資を必要としている各施設への荷物の運び
出しを手伝いました。ここには、地震後、市内および全国から駆けつけたボランティアが集結し、こうした作業を無償で続けています。
午後は、市の災害対策本部や市役所などを訪れ避難所の数や避難者数、救援物資の動きといった基本的な情報を収集。その後、津波による被害が大きく、またい
わき市内でも避難区域に近いためなかなか支援物資が届いていないといわれる四倉地区へ行き、避難所も幾つか訪問しました。
■四倉高校
校舎の外にはおよそ50人が給水待ちの行列を作っていました。体育館には多くの方が避難していました。災害対策本部の数字では270名となっていますが、自宅へ戻る人も多く、かなり減っているようでした。被災者の方や市の担当者に話を伺いました。
- 灯油の在庫が無くなってしまった
- 昨夜テレビが設置され、情報が入るようになった
- 医者はほぼ毎日来ている。
- 前日、初めて被災状況の確認作業が行われた。
- 炊き出しはほとんどなく、冷たいおにぎりやごはんのみ。
(この日、大阪から来たという居酒屋のスタッフによるビーフシチューと肉じゃがの炊き出しが行われていました)
ある被災者の男性は、「津波で家財道具も車も携帯電話も全て流されてしまい、家族と一緒にこの避難所で暮らしている」と話してくれました。また、別の女性は「うちは液状噴火がおこり、2階は地震でグシャグシャ、1階は泥でメチャメチャになりました」と教えてくれました。
■大浦小学校
人数は少なく、数十名。避難者の中で市議会議員の方がリーダー役となっていて、毎朝7時からの朝礼とストレッチ体操、灯油節約のためのルール作りなど、かな
り規律がとれている様子でした。調理室を使わせてもらえるよう学校側と交渉し、ほぼ毎日温かいものが食べられる、周囲に農家が多く野菜などを届けてくれる
など、四倉高校とはかなり異なる状況でした。
16時からは自衛隊が運んできた物資やボランティアによる配給物資などが配られるということで、ここもたくさんの人が行列を作っていました。
3月23日(水)
朝9時、東京へ戻る職員を見送った後、前日と同様、物資の搬出入の作業を行いました。そして、午後は私たちの車にも物資を積み込み、搬送先の集会所へ。水
が出ず給水サービスも充分ではないため、水が必要であること、ご飯のおかずになる缶詰などの需要が高いことなどを聞きました。「必要なものは明日持ってき
ます」と伝え、市南部の江名小学校へ。ここは翌日に東京の築地本願寺による炊き出しが行われる予定で、私たちが仲介したこともあり、様子を見に行きまし
た。200名以上の避難者がおり、子どもも20名ほどいます。それを聞いて、少しだけ自宅から持ってきていた絵本やぬいぐるみを渡してきました。