昨日(4/27)、カトマンズ事務所長・宮原から以下のような報告を受けています。
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日本にどこまで情報が届いているのか、私自身発災当日の数時間しかネットにアクセスできず、またこの3日間停電だったので、テレビも見られていません。もっぱらネパール語のラジオ放送から情報を拾っています。
今も突き上げるような余震がありました。余震に関して言えば、マグニチュード5以上の余震が私が覚えている限りで4,5回。地震翌日朝3時、5時はダディン郡が震源。午後1時はドラカ・シンドゥパルチョークが震源でした。小さい規模の余震はたくさん発生しています。
ジャワラケル近くの家屋
地方の被害状況はあまりわかっておらず、死者、けが人の数のみが出ています。ラジオからは崩落、地滑りの話を聞いています。また多くの家が損壊したという話もありますが、全体状況がつかめていません。ヘリコプターが物資の配布、けが人の搬送をしている情報が流れていますが、まだまったく足りていない状況です。
近くの病院を訪れましたが、前は、けが人であふれて順番待ちの人が数えきれないくらいいましたが、今日確認したところでは、病院+避難所のようになっていました。ここに避難されている方のほとんどは、ご家族がけがをされた方だそうです。
テントはほぼ自前だそうで、政府などからテントの配布、食糧の配布は受けていないようです。
ひとつのテントに大人7人、起き上がれないけが人1名、子ども1名、犬1匹が生活しています。食事はビスケット、インスタントラーメンを砕いて食べるといった火を使わないものをこの2,3日間食しているそうです。
店は9割方しまっていますが、ラジオで大きなスーパーは開店するようによびかけています。
飲料水が不足しています。
医薬品が不足しています。
カトマンズ内の交通は不便ではありますが、バス、テンプーは1割程度タクシーは3割程度走っています。ガソリンは不足していますが、まったくはいらないわけではないようです。電話は固定電話が少しずつ復旧しつつあります。
「携帯電話の電波が余震を起こす」といったデマが多く流れており、市民は噂に惑わされているような印象を受けます。発災当日夜から多くの市民が屋外でキャンプを張っています。
パタンマルチプルキャンパス
開けた場所にキャンプを張っています。
屋内で生活している人のほうが少ないように感じます。
ラリトプール市役所近く
塀が崩れています。このようにラリトプールKTMでは家の塀が
倒れているのが散見されました。
私自身は、食欲もあり心も体も元気です。5年近くネパールで生活する一人の人間として、ネパールの現状を悲しく思っています。古い遺跡が倒壊してしまったり、家屋が壊れたことだけでなく、あのいつも笑って、大変なことも「ケーガルネー(どうしようね)」とあっけらかんと言っていたネパール人に笑顔が見られないことが、一番悲しいです。ネパールは、地震の備えが弱く日本と比べると予備も少ないです。そのため、大きな不安抱えて生活しています。
カトマンズ事務所長・宮原麻季