地震発生直後から食糧や毛布などの救援物資配布、1世帯当たり5000ルピーのキャッシュクーポンの配布支援などを
行ってきたチトワン郡カウレ村ゴチバン集落24世帯の移住先が決まりました。同じチトワン郡の中のシャクティコール村です。インド国境に接し平野が広がるイメージの強いチトワン郡ですが北部に位置するカウレ村は山間部に位置し、
ゴチバン集落では地震によって既に山崩れが発生しており、行政から強制移住が言い渡されていました。
(カウレ村の風景)
その後、郡と村が移住先を探し、移住後の住宅支援をシャプラニールと現地パートナーであるRRNが行うとして準備を進めてきました。移住先の土地探しは難航しました。当初、同じシャクティコール村の別の場所で調整されていたのですが、住民の反対が強く実現しませんでした。ゴチバン集落の人々がダリットだったことも要因になっていると思われました。
今回の場所でも反対の声はありました。しかし、RRNのスタッフのみならず行政関係者、軍、警察がカウレの人々の苦境を丁寧に話をし、最後には既存の住民ももともと国有地を占有して住んできたという点に触れたところ、これ以上の
抗議は自分たちの土地問題につながってしまうと思ったのか、大きな運動にはなりませんでした。
(住宅の建設予定地)
6月19日(金)の8時半に移住先の土地で、シラニャスという、日本の地鎮祭に当たると思われる儀式が行われました。
行政関係者、軍、警察関係者、RRNスタッフ、私、そしてカウレともともとのシャクティコール村の住民が集まりました。カウレからはすでに10名以上がこの土地に移りテントを張って暮らし、周りに何があるのかなどを確認しています。夜や雨が降ると隣接している学校の校舎で過ごしているそうです。土地は国有地で軍の施設の隣です。学校と商店にも近く僻地に追いやられてしまったわけではなく安心しました。
シラニャスは、家屋の1本の柱が埋められる穴に花や米、赤い粉などネパールの儀式では欠かせないものたちを入れることから始まりました。その後、柱を立て、さらにお菓子なども一緒に埋めました。
その後、私からも簡単に挨拶をさせてもらいました。
地震の多い日本では今回のネパールの地震に多くの人々が胸を痛めていること、東日本大震災でも移住は経験しており、決して簡単ではないことはわかっていること、それでも多くの人々が協力して、この日、移住の第一歩が踏み出されたことをうれしく思うこと、これからのカウレとシャクティコール村の人々の生活がよくなりますように、といったことを伝えました。
シラニャスの後、RRNスタッフと住宅建設の後のサポートについて議論しました。現地のスタッフは収入向上の活動に
目が向きがちのようでしたが、もともとの住民との交流を進めたり、新しい村で行政サービスが適切に受けられるようなサポートも必要だよねと確認をしました。すると、カウレの人々だけでなくもともとの住民にとってもハッピーになれるようなことをしたほうがいいという意見が出されました。本当にそうだと思いました。
勝井